怒らない木星

木星期に入って2年。
怒るということがほぼなくなりました。
火星期最後の年は怒り総決算のような激しさが噴き出した。

木星が怒らない星というわけじゃないだろうけど、松村潔先生によれば「善意の星」ではあるらしい。
しかも私の木星は7室天王星とアスペクトしてるからか、急に人と距離を取るようになりました。
「距離感」という言葉は、火星期までの私の辞書にはまるでなかったかのような感慨。

「日々なんにもない」ということが増えた。
「それでいい」と思える。
実際は何もないわけじゃないけど、気づくと頭がからっぽというか。
今までは自分を責めたり将来が不安でいっぱいだったり。
また誰かへの個人的な感慨がこびりついて離れないような不快感で頭がいっぱいで、夜なんて特に。
今は特段の懸念事項がないという感じで、平和って幸福なんだなぁと。

老化ということは大いにある。
脳が緩んできてる感じはします。
怒るほどの集中力もなくなってるのかな。
自分がブログ書いといてなんですが、人の文章をちゃんと読むことも面倒になっている。
火星期までは集中力も高かった。
活字をガッと読んで、世の中への怒りをカッと高める。
それが生きてるという感じで、全集中ってああいうことなのか。

とりわけ家族に怒らなくなったのは大きい。
家族・肉親って唯一、自分の全部をぶつけていい相手だと思ってた。
それが数々のいさかいを生み、自分の甘えでもあった。
今、家族・友達・異性などあらゆる人間関係を「同じ」とみなして、脳内で並列しています。
ひっくるめて「大事な人たち」とする。
家族だから・友達だから・仲の良い異性だからという例外を作らない。
「大事な人を尊重する・傷つけない」というのが人間関係における自分の第1のルールで、第2のルールは「大事な関係を永続的にキープするよう心がける」
そう思えたのは、「大事な人」が自分の中でほんの数人というとこまでコンパクトに絞れたからかもしれません。
この人たちを大事にする。

それを実行するには、ぐっと離れた関係性が大事です。
火星期まではこんなことを自分が思うようになるとは信じられなかった。
あのころはいろんなことが不安でたまらなく、「近しい」と感じられることがすべて。
今はその不安感から解放されたことも大きい。
一時期は不安を鎮める薬まで飲んでたというのに。
その薬があれば思考はずいぶん前向きでクリアになるけど、飲んじゃったらもう手放せないと思ってた。
ところがそんなこともなく。

木星期というのは、その「善意」を自分に向けることもできる時期なのかな。
こんな頑張ったんだからお菓子食べよう、みたいな思考になりますね。
ただ太るけど。
火星期にはそれなりの意義があった。
とにかく生産性とか結果にコミットばかり気にするような。
一時期、7日全部働きたいと思ってたこともあって、「休みの日なんもしてない」ということに耐えられなかった。
働いてない自分に価値がないと思うって相当ヤバいですね。
でも当然ながら体がついてこない。
免疫が下がって膀胱炎にまでなったりして。

実際、木星期の女性には更年期障害が立ちはだかるので、怒りっぽさや不安は私にもまだまだつきまとうはず。
怒ることは減ったけど、波はありますよね。
胃腸や下腹部が重いと急速に気が滅入る。
苦手な人は苦手なままだし。
けど罪悪感をもたらす人には一層敏感になり、そういう人には近づかない。
昔、苦手な人とあえてコミュニケーション取ることを自分に課してましたね。
なんの道場だって話で。
それも意味がなかったわけじゃないけど、急にいい人をやめたもんだから、なんだあいつ?と思われてるかもしれない。
この「思われてるかも」がまた苦しいもんで。
昔は「思われたくない!」の範囲が果てしなく広がって、どこまでいい人でいればいいんだか真面目にやってただただ疲弊。
それでも意地悪な感慨を抱く人はいるんだし、それは私の問題じゃない。
人の底意地の悪さまで私は変えられない。

そう、変えようとしてたんだと思う。
自分が頑張れば、自分が望む通りの反応を返してくれるはず。
それを期待して落ち込んで疲れて…をひたすら繰り返してた時代は気力・体力がなんだかんだあった。
だって「相手を変えたい!」とかにエネルギーどんだけ費やしてたかってね。
変えられないんだね…と頭でわかっててもどうすることもできなかった。
強い望みだったからな、期待通りになってほしいと。
その願望を手放せなかったのも、不安が強かったからと思う。
「自分の描く期待」以外の道に自分を委ねられなかった。
「こうであってほしい」がすべて。
なぜあんな頑固だったのか。

火星期には火星期の意義があった。
「自分の意味」を必死で探した日々。
どんな小さなとっかかりにも自分を滑り込ませる気概もあった。
今もう目立ちたくないし、5秒数えてるうちにあらゆる衝動がどうでもよくなったりして。
それでも先日久々に「あの電車に乗りたい!」という気概が発動した。
走って数秒で足がもつれて、まさか肉体の方が先に諦めてくると思わなかった。
土星期になったら派手に転んだりするのかな。
そういえば先日骨折した知り合い2人はどちらも土星期境目だ。
土星期に入ると体がカチカチになるから、木星期のうちにストレッチ頑張ろうと呼びかけてくれた占いの先生を思い出しました。

自分はこの先怒らない、ということはさすがにないはず。
関係がうまくいってない人にコントロールされかけたときなんかは、「フーッ!」と猫のように毛を逆立てる感覚になる。
「相手を変える・自分を変えさせられる」
このあたりに双方の怒りポイントがあるんじゃないかと思いますよね。
近しい人にはどうしても干渉したくなるし。
国際情勢も、相手に「変わってくれ」と迫ることがいさかいの発生源という気もする。



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