子どもの自分を揺さぶった曲

この間、NHKの中森明菜特集を見ました
私は明菜ど真ん中世代で、今見てもあのころのワクワクが蘇る。
曲もさることながら、歌う明菜って本当かっこいい。

だけど、相当変わった曲をヒットさせてましたね。
衣装も曲調もぶっ飛んでる、のに確実に刺さったんですよ。
「飾りじゃないのよ涙は」のとき私は9歳。
なんかすごい名曲キタ!ってことは幼いながらにわかってた。
しかも親だか姉だかが「さすが井上陽水の曲」と言っていて、「さすが」な何かが詰まってることを感覚として嗅ぎ取った。

何より「DESIRE」で。
「ゲラッゲラッ」ってとこを友達と茶化して歌いつつ、「バーにらはぁぁあ〜」のとこで急に本気出してみる。
「やりきれ…な・いほ・ど…」って切なく歌ってみたくなりましたもの。
「北ウイング」からも、ドラマチックさの美学みたいのを植え付けられた。
表現ってこういうことかと。

松田聖子の曲もなんだかんだ口ずさんでいたものの、「青い珊瑚礁」や「赤いスイートピー」には生意気にも「ベタよね」なんて感じてた記憶。
歌詞も「あなたについてゆきたい」とか、歌いたくなっても思想として浸透しなかった。
「渚のバルコニー」で聖子ちゃんが「水着・もってない…」と歌えば、友達と「じゃあ裸で泳ぐべ?」って顔を見合いながら大笑いしたこともあったっけ。
とはいえ歌詞はぶりっ子でもメロディーが色っぽいんですよ。
幼いながらにムーディーに歌い方を真似しちゃマズイ気はしてました。
そこへいくと「愚図ね…」ってしょっぱなから歌う明菜のほうに心はすんなり持っていかれるわけで。

つまり、小学生でも音楽を「わかってた」という感覚はある。
ベタな曲調や元気いっぱい行進曲みたいのを子どもは好むと思われるのは心外で、「よくわからないけどかっこいい」という曲に興奮してたのです。


当時大学生の姉の部屋からこっそりユーミンのカセットテープを持ってきてたころ。
最初は「卒業写真」に掴まれるんだけど、徐々に「中央フリーウェイ」にハマっていく。
あの曲、すごく変わってますよね。
しょっぱなの旋律とか、音痴のあぶり出しテストみたいな難解さ。
だけどサビのあとの「中央フリーウェイ」がなぜあんなにしっくり収まるのか。
その謎をたどるように何度も何度も聴いてきた。
「飽きない名曲」って、こういうことかもしれない。

当時高校生の兄の部屋から借りてきたカセットテープの第1曲目は「冬のオペラグラス」
今でこそ感慨深くもなるけど、あのころ新田恵利の歌唱に毎回わざとズッコケてみたりした。
そんで第2曲目「そして僕は途方に暮れる」に一気に掴まれたんだ。
その曲を聴くために何度も兄の部屋に忍び込むほど。

あのハスキーボイス、子どもにとって耳触り良くなさそうだけど、「わかる」と思ってしまった。
「見慣れない服を着た  君が今 出ていった」
なんの経験もない小学生が、なぜこの部分で切なくなったのか。


小学生の自分がハマった音楽といえばレベッカとTMネットワーク。
レベッカは「フレンズ」から入ったわけじゃないからか、今もあの曲にさほど感動がない。
「MOTOR DRIVE」「ラブ イズ Cash」から入ったような。
小柄なNOKKOが全力ではじける姿に胸を打たれてたんですよ。
で、この感じって聖子ちゃんや明菜のラインとは全然違うことをわかってて、歌謡曲と別の世界を知ってる自分がちょっと誇らしかった気がする。

TM曲では「Self Control」がとにかく好きでした。特に歌詞。

Self Control 今までのぼくは
本当の悲しみ 知らずにいたのさ
君に会うまでは

Uta-Netより引用

これがなぜ「Self Control」なのかがずっと謎で、でも正確に突き止める気もなく放置することで何かを守るような、その感覚を大事にしていた。
そしたら友達も同じ感覚だったことを中学で知る。
そういう人と親しくなっていく。

その友と同時期に好きになったのが大槻ケンヂ。
でも私はオーケンのラジオなどでのキャラにハマってたのに対し、友人は筋肉少女帯にガッツリハマってた。
「元祖高木ブー伝説」はあのころの私にはちょっとわからなかったですね。
今、すごいいい曲と思うのに。
まだ育ってない感性もあったのだ。


兄の部屋からさらに掠め取ってきたカセットはサザン。
それがすごい名曲揃いで、のちにアルバムを探しても見当たらない。
どうやら70年代のサザンのアルバム3、4枚からピックアップしてまとめられたカセットだった。
B面の1曲目が「DJ・コービーの伝説」で、なぜこんなかっこいい曲がベストテンとかで流れないんだろうと思っていました。

どんなにかっこいい曲でも、TVで流れる曲、音源として売れていく曲、そうじゃないものがあるんだと肌で理解できたのはもっとずっとあと。
今でもその仕組みをちゃんとわかってるわけじゃないけど、世にメジャーに浸透するのとはまったく別ラインにも名曲が存在するという事実は、感覚としてわかった気がする。

姉の部屋から取ってきた山下達郎やハイ・ファイ・セットを好んで聴くようになったのはずっとあと。
中学生になるとブルーハーツやLINDBERG、PERSONZやZIGGYなど明るいロックの時代になり、ユニコーンはそのわかりやすさに抗おうとしてた気がする。
私はユニコーンがあんなに好きだったのに、ちょっともう理解できなくなって離れた。
わかりにくかった米米CLUBは「君がいるだけで」で路線が確立された。
爆風スランプも「RUNNER」大ヒット。
あのころのミュージシャンって路線を確立するの大変だったんだろうな。
中学時代の私はドリカムのアルバム「LOVE GOES ON…」とプリプリの「19 GROWING UP」ばかり聴いていた。


世の中の変化は音楽も影響を受けるから、自分が好んで聴いてた路線がメジャーじゃなくなってきたとき、喪失感や足元の心細さを感じる。
そういうことがこれまで何度もありました。
今でこそ、昔のよりどころ曲にすぐ戻れる。
というか最近戻ってばかりなので、また流行りの音楽がわからなくなってるとも言える。

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