大きなニュースが続々報道されている。
海王星が牡羊座に入ったこととリンクしているように感じる。
この間の日食も影響してるだろうか。
ドラゴンヘッドは牡羊から魚座へ。
「今まで」と「これから」はもう違うんだと感じる事態が続々押し寄せている。

2025年4月2日現在の牡羊座あたり
海王星が魚座にあった時代は、津波におびやかされることが多かった。
牡羊座に移ると「火」にのみこまれる恐れが世の中を覆うんだろうか。
山火事もすごい起きてますよね。
あと暑さかな・・・いやだな〜猛暑。
ところで、例の第三者委員会報告書の内容には驚愕しましたね。
あのテレビ局も「今まで」にはもう戻れない「これから」への大きな変革が突きつけられたということかな。
あの局のひどさはTVからもなぜか感じ取れていたものの、あそこまでとは思わなかったですね。
このひどさ露呈のきっかけになった、男性タレントと元アナウンサー女性との事件。
報告書が出てもまだ、「なぜ女性は男性の家に行ったのか?」を問題視することをメディアで言うコメンテーターもいたようだけど、自分の20代がすごく思い返された。
ちょっとそのことを綴ってみます。
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私は20代後半まで建設会社の社員で、あのころは本当にいろんな人にかわいがってもらったと、自分の中でほっこりする思い出として、しまってあった感じで。
女性上司からも男性上司からもよくしてもらったなと。
「なぜ女性は男性の家に行ったのか?」
今の自分なら警戒して行かないだろうと思えるけど、今回の報告書のニュースを見てて「20代の自分ならどうだったか」と、ふと思い返してみた。
私が25歳のころ、新しく配属されてきた室長は50代半ばくらいだったか。
もともと仲の良い部署で、新しい室長もすぐなじんで、みんなで飲みに行くことも多かった。
あるとき、飲み屋から別の飲み屋に移動する際に室長から、「お前のこと好きなんだよ」と言われた。
室長は酔ってんだなと思ったけど、目はこっちを見据えていた。
でも「ごめんな」と言っただけで、私も「なんのこっちゃ」みたいな感じで軽く流した。
室長の好意は親戚のおじさんが気に入ってくれた感じとか、上司としてことさら評価してくれてる感じ、としか私は認識できなかったですよね。
その日は室長とそれ以上の接触はなかったけど、思い返すと「握手な」と手を差し出されたり、肩を組まれたことは何度かあった。
それでもやっぱり「おじさん」=性や恋愛の関係にならない人・いい人という自分の感覚を信じ込んでましたけどね。
あのときの室長と近い年齢になって思うことは、「あぶねー」と。
私はそのあと別の部署へ異動になったり、後に転職したりしたけど、室長からはその後も何度か電話があって「今から飲みに来いよ」と。
私はそのときもそれを迷惑と思わず、ただ本当に仕事中だったり翌日の朝が早いとかで断っていた。
もし暇だったら行ってただろう。
室長が1人である可能性とかも、まったく想像してなかった。ほかの仲間もきっと一緒だろうと。
とにかく室長くらいの年齢の人が自分に向ける好意を、「いろんな可能性があるもの」として想像するには経験が追いついてないというのもあるし、それだけ純粋だったんだと思う。
50代の上司の好意に恋愛的(性的)な意味があるなんて、思いもしないよ!ということは20代なら全然ある。
年齢に関係なく、そこまで想像もできないことを「落ち度」みたいに非難する人は、やましさを何度も経験してきた、ある種汚い大人だと思う。
「それは純粋じゃなくて鈍感」と責める声があったとしても、それを利用する側のほうが絶対的に悪い。
Aさんというあの方も「家に行く」ことの先に何があるか?なんて想像の範囲外だったんじゃないか。
もし自分が室長の誘いに応えられる日があったとして。
おじさんとほっこり飲むつもりで行ったのに、個室で室長に下半身丸出しにされたら。
体をつかまれて押し倒されたなら。
あまりのパニックで、行為の途中まででも「何かの冗談」と思ってしまうだろう。
ずっと親しい間柄だったのに、「やめてください!」という攻撃性をこのおじさんにぶつけるのは良くない気がする…なんてことをまだ思ってしまいそう。
そんな自分はただ権力ゼロの弱い立場ということすら受け止められず、「性的に扱ってもいい」とこの人にいつから思われてたんだろう?と、初めてそこから「想像」が始まる。
それは世界がひっくり返るようなショックと思う。
私は室長とそんなふうにならなくてよかった。室長がある線を越えないでくれたんだと信じたい。
もう一つの話。
「一緒に食事に行こう」と職場の上司(3歳上くらい)に誘われてイタリアンに連れて行ってもらったことがある。
その人は既婚で(こういう誘いをしてくるのはほぼ既婚)、「イタリアンに誘うの、すごく緊張したよ」とか言ったりする。
私はその上司の性格に難ありと思っていたので、オープンに接することには警戒していた。
それでも食事の誘いに乗ってしまったのは、同じ部署で働く人の誘いを断りにくかったのもあるし、好意といっても既婚者、「食事しながらの世間話」の延長と信じ込んでいた。
でももし、グラスに何かを入れられていたら・・・
・・そんな想像も巡らせなきゃいけない現代はなんて生きづらい。
その人はそんな人じゃない、と信じられるような関係性だったと思いたいけど、私への好意を何度も口にしていたことを思い出す。
あのころの私は「既婚者」という事実に安心しきってて、「はぁ…」としか思えなかった。
だけど「既婚」という事実と「お誘い」は、別の次元として成立することと今ならわかる。
私はたまたまその男性の性格が苦手だったので、よそよそしく接してたけど、「すごく良い人」と思える人だったら、きっと私はオープンになっていた。
「もっと踏み込んでもいい」と思わせる隙は当然できてただろうと思うと、自分のあやうさやべーと今ごろ思う。
いや、「性的な信号送ってねーわ」ということかもしれない。
室長もこの少し年上の上司も。
信号送ってないから、私も何も感じなかった。
彼らは常識のラインを越えないまともさがちゃんとあった。それが「正解」の気もする。
私を性的に消費する、なんてことになりようもない信頼関係があった。
でも、誰でもそう信じる気持ちはあると思うから、それが裏切られたときのショックはものすごいはず。
もし、男性たちについていった私の身に何かがあったとして。
客観的に見たら「ついてったお前が悪い」と非難されることを私はたくさんしていると気づいた。
「方角が全然違うのに送るよという上司」みたいな人は、そういえば時々出没してましたね。
私以外の同僚に対しても。
それはバブルの風を浴びた男性のマナーと信じ込んでたけど、実際はどうだったんだろう。
「送るよ」と、60前後の上司の車に乗って、胸を揉まれた女性を知っている。
あの上司が!!とショックを受けた。
その上司と女性は夫婦漫才みたいな掛け合いが楽しかったのに、上司は女性をそういう目で見てて、そういう意図があって車に乗せたのだろうか。
「ホテル行こうや」
何度も誘われたけど、必死で断ったという。
それでもホテルの前に車を停められ、女性はなんとか断った。
「ケチやな〜」
60代上司はそう言ったという。
実は自分たちは、あやうい環境の中なんとか無事にすりぬけて、ここまで生きてるということなのか…
それでも誘いのまま無邪気に車に乗ったり誘いに応じたりしていた。
「何もなかったこと」がセーフ!と今なら思えるけど、本当ゾッとしてくる。
あのころの感覚としてはセーフとかじゃなく、「信頼」の上に成り立った行動だと思ってて、それが崩されることなんて思いもよらなかった。
でも毒牙にかかってしまった話は実はそこここにある。
胸を揉まれた女性は隣のデスクで働いていた。
1つだけ、私にも屈辱的なことがある。
「おもしろいの見れるからおいでよ」と、男性上司から「男性だけ」の飲み会に誘われた。
若い男性が裸になって芸をするとか、ここでは書けないような暴力的なことが「おもしろいこと」として、男性だけの会で行われていた。
それを「特別に見せてあげる」というから、数人の女性と参加した。
全然おもしろくもなんともない男性だけの会の終わりに、普段真面目で無口な男性が私の背後に回って、私の胸を触ってきた。
背後から触られるというのは意外になすすべがない。なぜかうまく手を払えない。逃れられない!
それも「おもしろいこと」の一つだった。
みんなが見てる前で私はマジになってうろたえて、とにかく胸の手を払いたくて変な体勢になった。
男性の一部が「笑えない」という顔になっていくのもスローモーションで感じた。
私は一瞬パッと怒ったけど、同時に「マジになった自分」を恥じた。
あの会に誘った男性とも胸を触った人とも一生関わりたくない!という強い思いをなんとか閉じ込めてここまできた。
「自分の人権を守るための対処」なんてことは、あのころの自分にできるはずもなく。
「あのくらいのこと」とか、「興味本位で見に行った方が悪い」とか言われかねない雰囲気の中で、「自分の正当性や被害を主張する」なんてことはハードルがあまりにも高すぎた。
性暴力くらいのレベルじゃないと、立ち向かおうなんて思えないだろう。
性暴力が起きてからじゃ遅すぎるのに。
高校卒業後に、「実は女子トイレをのぞける仕掛けがあった」と知ってひどくショックを受けたことも思い出す。
みんな仲よかったじゃん、あの高校、男子も女子も。
それなのに、仲間の女子のトイレをのぞいていた?
のぞいた男子が誰かはわからないけど、今も時々「同窓会やりましょう!」なんて案内が来て、誰が行くかよ!
被害を受けた側の声をちゃんと拾う仕組みが全然整ってない社会。
まだそんな中で生きてるんだなぁとつくづく思った。
そんで、若いというのは圧倒的に経験や想像の範囲が狭いので、その狭さが「純粋さ」として放たれる分、自分の欲望のために利用してもよいと、大人の卑猥な目にさらされる悲劇がある。
電車内で最近、ドラマCMみたいのが流れてるけど、男が好意を抱いた女に「ふいに触れる」ことがいまだに萌えポイントとして描かれたりして、吐き気がする。あぶねっつーの。
境界線は大事!!
そう、ポイントは境界線と思う。
「ぐいぐい」をいまだに良いこととして実践する人と、「自分のテリトリー」にやたら入れようとする人には警戒心を発動させた方がいいと思う。
性的なことだけじゃなく、洗脳とかも危険要素としてありますからね。
あのころ、どんな小さな嫌なことでも聞いてくれる保健室みたいな場が社内にあったら駆け込んでいたかもしれない。
ただし、ちゃんと「機能」していれば。
その訴えが泣き寝入りに終わらないと安心できる機能・システムの整備が急速に進んでほしい。
海王星という大きな意味を持つ惑星が牡羊座に入ったというのは、「まったく新しい世界・新しい自分」が開かれる大きな流れが起こっていくんだと思う。
悪しき慣習という沼から個々人が這い上がれるようになるはずで、「告発」という行為が正当に拾い上げられる新しい時代が始まるんだということを希望として持ちたい。