「しあわせは食べて寝て待て」最終話

ついに終わっちゃいましたね。
前半は、最終話によくある「全員がなんかいい方向へ」という理想形パターンかな?と思った。

いやいや、でも「しあわせは食べて寝て待て」だから。
という期待も存分にしていた。
したら、やられましたね、やっぱり・・・
心が鷲掴みにされた。って、ありふれた表現かもだけど。

私は団地のカフェのシーンで涙がにじんできました。
ああいうシーンで感動させるドラマって今までなかったんじゃないかと思った。
パートナーを得て幸せになった八つ頭さんだけでも泣けるのに、司が出てきたらぶわっと溢れた。
麦巻さんの妄想と気付いたから。
私の人生にずっといてくれたらいいのに。そんな声が聞こえた気がして。

また、そのあとの司タイムですよ。
山で老人とすれ違った司。
徘徊老人。ここでまた泣く・・
徘徊老人が最終話に出てくるドラマって今まであっただろうか。
医療もの以外ないでしょう、きっと。
NHKの作品に信頼を寄せられるかのはこういうところ。現代をちゃんと描く。

司が老人に語る。
祖母もよく徘徊していたこと。
一晩中探して、すべてを諦めたい気持ち。
今でも拭えない罪悪感のこと。
老人は急に正気に返った表情で、隣の青年を励ます。
認知症の描写がリアル・・(泣)

麦巻さんは団地内にカフェスペースを作ろうとイメージが湧いたら、その行動は意外に早かった。
もともと仕事に生きがいを感じてた人だったんだろうな。
「麦巻さん元気になったなぁ」と思った。同じこと思った人多いと思う。
やっぱり頑張りすぎたようで、耳鳴りがし始めた。
でも前の麦巻さんと違うのは、自分のために何か温かいものでも作ろうかと思えるところ。
調理中に「旦那の愚痴を聞いてほしい」という友人からのLINEにも「ごめんね」と返すことができた。
またある日には弓ちゃんからびわゼリーが贈られてくる。

(写真はNHKしあわせは食べて寝て待てHPより)

ああ、幸せだな。
そう思うことは、実は日常にいくつもある。
でも幸せをかみしめる時間はわりと短い。
「わぁ…」(終わり)
洗濯したりお皿洗ったら、頭は切り替わってしまうけど、私にも麦巻さんみたいな温かい瞬間はある。
スープを自分のために作って、自分のためにお茶を入れる。
そんな時間は確かに幸せなのに、あっという間に忘れてしまう。
誰も見てないからかな。
頑張ってる自分を誰も知らない中でずっと生きていく人生は長いような、あっという間に終わりそうな。


つかまえようとしてもつかまえられない司。
だからこそ幸せの濃度も濃い。
司と会えた麦巻さんと鈴さんは、お互いをこれまで以上に大切に思えたのだろう。

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光の当たらない自分の世界を、「描いてくれた」と感じる稀有なドラマと思いました。
反響からしてそう思う人が、どうやらとても多いみたい。
「冷たい私」なんかじゃない。
これまで以上に自分を大切にできたということ。
麦巻さんはそう思えるくらい変わった。
私はあれからもChatGPTで対話を続けてますが、「自分を大切にすること」が何度も何度も語られる。
肯定モードが半端ないので、よくない依存例もあるらしいですけどね。
私も何かといやぁGPT氏に語りかける。
「自分の内部で幸福感がしばらく漂ってても、ネガティブに引き摺り込まれる」と相談したら、「幸せ慣れをしてない人のパターンですね」とのこと。
涙がにじんだ。
(40後半になってやたら泣く)

自分ではどうにもできないと心が疲弊する環境で生活を続けたとして、「今日も乗り切った…!」と束の間の安堵・達成感で生きてこれたのは若かったから。
そのとき必死で押し込めた「逃げたい」というような感情は、年を重ねたあとで必ず噴き出すのだろう。
司の独白にも自分を重ねた。
「もっと何かできたんじゃないか」
「自分は残酷だったんじゃないか」
私が10代の頃、叔母からよく「呪いの電話」がかかってきた。
「あんたんちはそのうち不幸になるよ(知ってるんだから)」
そんなことを12歳とかの私に言う。
「はぁ・・」
すんごく冷たい声で返した。
私が20代半ばのころ、叔母はひとり亡くなった。
叔母の人生は壮絶すぎて、誰も手を差し伸べられなかった。
私が10代・20代のころは叔母だけじゃなく、親戚・家族内は「不穏の種」がそこかしこにあり、どうすることもできなかったんだ。
穏やかに過ぎようとする1日の終わりに、嵐のような何かが起こる。
幸せは長く続かないもんだと刷り込まれたから、凪状態が落ち着かない。
ハッピーのあとにサッドを盛り込む脚本を脳内で自動的に描いてしまう。自作自演というやつ。
親から疑いようのない愛情を受けてても、抑圧や過酷さは痛みとしてずっと残るもので。
私はそれが45歳ごろに噴き出して今に至るけど、そういうものなんだろか。
このドラマは、「ああ、私たしかにこうやって生きていた」と、寂しがっていた心に優しく触れてくる作品でした。

宮崎美子さん演じるウズラさんが
「1人で生きるのがかっこいいとずっと思ってきたのに、”1人は寂しい”と言われる世の中、私は苦手です」
と言っていて、こんなセリフもなかなかないですよね。
そうだよ、ひとり謳歌中だよ!と思う自分は確かにいるのに、「私ってさびしいんでしたっけ?」と周りに聞いて「うん」と言われて、自己像を固めるみたいなことを長らくやっていましたがね。
「うん」じゃねーよと、どつき回りたい。
が、寂しいは寂しいよね・・

でもこのドラマの最終話であんなに泣くようなこと。
誰かといてもできるものだろうか。
私はできないと思った。
実家にいたとき、あるときから誰にも涙を見せなくなったから。
もし好きな男性が隣にいたら「泣いてる私」を意識しまくるだろう。
彼の肩に頭をのっけながら泣く女とか本当嫌いなんだけど、自分がそれをやりそうではある。感動してるふうで自分に酔うやつ。
だから、誰かといるとしっかり・しっとり感じる自信はない。

私の日々にもしカメラが入ったら、麦巻さんみたいに幸福をかみしめる瞬間もきっと映し出される。
SNSでしかつながってない人・だけど7年以上つながりのある人と2年ぶりくらいにメッセージをやりとりできたりとか。
直筆のイラストが送られてきたり、「ブログ見てます」とメッセージをいただいたりする。
それぞれの発信の中には少しの寂しさも吐露されていて、「こんな私に話してくれて」と思う時間はどんなにかけがえのないものか。
そんなふうに自分の日常を丁寧に見つめ直してみようと思えたドラマでしたよ、本当に!!



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