オリンピック観戦はもっぱら再放送です。
夜中は寝ちゃうから。
かつてこんなに涙腺が緩いこともなかったですね。
今年の選手の涙にはすごく胸を揺さぶられる。
私の年齢的な問題?
橋本大輝選手っていい子だなぁ。
池江選手に阿部詩選手、男子体操団体。
前はスポーツイベントのたびに選手の生年月日を調べて12星座一覧とか出してました。
それをブログに書く。
そういうやる気がずいぶん失われちゃって。
というのも、私は5年前にプログレス太陽が獅子座から乙女座へ移動したのですが、やはりあのころが変わり目だった。
私にとっての「表現の時代」は終わったらしい。
ま、私は月が獅子5室なので、表現欲はいつだってあると言えますがね。
でも表現の炎が線香レベルになった感じ。
灯ってるけど細い。
「おもしろ」もさほど求めなくなった。
バラエティーが苦痛になるほどで。
私の獅子座は5室で乙女座は6室。
P太陽が正確に6室に移動したのは8年前ですが、乙女座に入ってからの5年前の方がくっきりと生活やメンタルに変化があった。
いよいよ「介護時代」に入った感じですね。
6ー12室ラインとか乙女ー魚ラインってちょっと滅私っぽくなると思うのです。
「12室(or魚座)だったらどっぷり介護生活、身も心も」という感じでしょうけど、6室乙女座だと結構ドライに事務的に処理しようとしますね。
母親は整理整頓が苦手になったので、実家に帰れば私はほとんど掃除・片付けなど生活管理。
ケアマネージャーさんと母の通所などのスケジュールを立てたりとか、介護って事務処理がめちゃ多い。
長期・短期の先々を予測して「やっておかなきゃ」という考え事がすごく増えました。
あと6室といえば「健康」
「無理しない」ということが第一モットーになりましたね。
無理して働かない。無理して食べない。
無理して気を使わない、などなど。
ただ「滅私ハウス」なので、「こっちで無理しない分、あっちで頑張る」ということはある。
それが私の場合は介護や実家のこと。
心身健康じゃないと誰かのことに向き合えないものです。
特に家族にイライラした状態で接するとストレスも倍増。
私にとって実家や親はイライラをぶつけていいところじゃなくなった。
甘える場所がもうない…なんて数年前まで悲しく感じてたけど、覚悟がずいぶん備わった。
夢分析に取り組んで無意識が大きく動いた体感がありました。
乙女ー魚ラインといえば…今はスピリチュアルアゲインという感じ。
このブログを始めたときはN金星ーT海王星オポジションのタイミングでしたが(2011年前後)、そのアスペクトが外れてからスピリチュアルへの関心が薄れる一方でした(2013年以降)
あのころはヘミシンクにはまったり、前世を見てこようとしたり、スピリチュアルのいろんな講座に顔を出していた。
中野トナカイや阿佐ヶ谷トナカイにもよく通ってたなぁ。
そして今。
T海王星がASCにかかろうとしてるからでしょうか。
ダウジングを学び始めたりしてます。
あと、「ばけたん」というシリーズの心霊サーチグッズを部屋に置いたり。
吉田結妃さんの夢分析もまた受けています。
ともかくP太陽獅子座時代は30年あったわけです。
それが5年前に乙女座時代突入。
これは大きい。
5年前まで自分はかなり子どもの部分を残してたなと思うし、この数年で無理やり成長の階段を駆け上がってきた感じ。
ブログを書くにしても「何のために」ということばかり考えるようになって、何も湧いてこない。
表現時代は「書きたいから書く!」という熱さが確かにありました。
6室に入るとやたら役立ちたくなるんですよね。
何かにつけ「目的」のことを考えるようになったり。
この数年のあと大きな変化といえば、できるだけ「その他大勢」に染まろうとするようになった。
昔はもっと「私が言わなきゃ!」とか前に出ることをいとわなかったし、もっと心臓が強かった気がする。
でもこの数年、急に「存在してません」みたいに振る舞ってますね。
ファッションも、前はほとんど選ばなかった黒シャツとか黒鞄とか黒靴とか。
昔は不思議な柄とか色合いとか大好きだったのに。
これがあと25年続くのか・・・?
70代半ばでP太陽は7室天秤座に移り、そのころもっとおしゃれになって人間関係も楽しめるようになってればいいのだけど。
そうそう、5室時代は恋愛時代でもありました。
今は恋愛への興味ゼロということはないけど、「好きって何だろう」とか「付き合うってどういうこと?」とか、恋愛そのものを見直す目線に変わった。
結局は「目的・魂胆」があるんじゃねぇかと、恋愛がそれっぽく醸し出す純粋性に疑いの目を向けてますがね。
恋愛が5室にまつわるものなら、やっぱり承認欲求だろうとは思う。
誰かに見いだされ、選ばれることは内側も満たすし、外側に発信してこそ完成される薔薇色感。
いかにも5室獅子座っぽかった。
今は確かに6室乙女的。
ただ「何者でもない自分」を肯定できるようになった日々は穏やかで結構良いです。