いろんな場所づくり

noteはやっぱり難しい。
数年前、自分がなぜやめたか、同じところに戻っていく感じ。

雰囲気が変わった気がした!と思ったけど、それは以前より秩序が整ってるかなという部分で、スキのつき方とか人気者の雰囲気とかは相変わらずと思った。

この「スキ」に前も悩まされたけど、これがある以上、今も振り回される。
ここみたいなブログだったら表現を放って、アクセス数が1日で2や3だけでもホッとするしありがたいと思うのに、noteではスキがつかないと、何かおかしな表現をしてるんじゃないかとすごく不安になりますね。
まぁフォロワーがまだ1桁だし。

だけどもし、自分の記事が何かに取り上げられたとかで急にフォロワーが増えたとして。
そうなると急にスキが増える事態も怖い。
これは以前やってたときに感じていた。
何を書いてもスキがつく事態が怖くなってしまったのだ。
といって、今までなんでもスキつけてくれた人がある日の記事につけないことがあると、それはそれで動揺が起こる。
「スキ」ってなんで作ったんだろな。
「スキ」があるということは、「スキじゃない」という意思表示もくっきりするわけで、私も人の記事で最後まで読めなかったものにスキはつけないけど、ジャッジしてる感が出ちゃう気がしてやりにくい。
それで以前はやめた。
いい人の顔してジャッジメントを互いにしてるふうな空間が恐ろしく思えて。
今回も同じ心理状態に陥りそうな予感。

なぜ今回、noteを再開したかというと、コンセプトを立てた記事を書きやすいからということで、40代の自分のことや母の老い・介護のことを書いておきたい気持ちがあったから。
と同時に、自分と近しい人のnoteを読みたい(探しやすい)のと、自分とまったく違う生活の人のnoteとの出会いも楽しいんですよね。

ただ、noteって渾身の記事にスキがつきにくいので、気の抜けたことばかり書こうとしてしまう(なぜかそういう話にスキがよくつく)
渾身の記事が書けないなら意味がない。
私はもう1つブログサイトを持ってるけど、noteの記事をこのゆめぼしと、そっちとに振り分けてコピーして、3つの場所をゆらゆら行き来しようかなと。
それをわざわざ表明することもないんだけど、ゆめぼしっぽくない記事がいきなりアップされるかもしれないですという一応表明です(親の介護の話とか)

noteのフォロワーが多い人の独特のドヤ感が苦手で、自分も多い読み手がついたらそうなるのかもしれない。
まぁ、私は増えないタイプの気もする。
増える人はなんか特別なルートがあるか、運営側に気に入られてピックアップされる人なんじゃないか(妄想込み)
岸田奈美さんみたいな才能をnoteは見出して成功体験を重ねたいのだろう(偉そうに言ってみる)

というのは、なんか最近書きたくてしょうがなくて。
フォロワーが少ないのにあまり文章を投下すると、すーっと引かれる現象も体験済みで、それでもめげずに記事をあちこちアップしていけたらと思います。
私もよく読んでるブログの人がたくさんアップしてくれるのは嬉しい。

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