武田砂鉄さんの本

noteの記事を一部編集してこちらに掲載します。

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武田砂鉄さんの本を初めて読みました。
タイトルにひきつけられた。

父ではありませんが 第三者として考える

武田さんは「父ではない自分」から見える・感じることを率直に書いている。
その率直さにすごく揺さぶられたんですよね。
武田さんは既婚ですが私は未婚。
共通点は子なしということだけど、本では「わかるわかる!」と思うことばかり。
その一方で「ここまで書いちゃうのすごい」と、ドキドキする。

というのは、「子がいない」という立場で家庭や子どものことを語る・書き表すって勇気がいるじゃないですか。
「でもあなたは子がいないでしょ」「経験してない人には絶対わからない」と人に言われることをすごく恐れると武田さんは語る。
そうなんだよ。
「この件に関して発言権がない(のだろう)」と思ってしまう。
それは誰の思いを汲み取ろうとしてるのか、自分もよくわからない。

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友人が自分の子を小学校受験させようか、とても悩んでいたとき。
私は自分なりの意見を言った。
学生時代からのこの友人グループはいつでも率直に意見を交わし合ってきて、「思ったことを言うね」というやりとりができる貴重な仲間だと、みんな互いに思い合っていると感じていた。

私が意見の半分も言わないうちにもう1人、子がいない友人が私を制した。
「うちらは何も言える立場じゃないよ」

あ、そうだっけ?

でも、そしたらあらゆる子ども関係のこと、どんな意見も言えないじゃないかと憮然ともしたけど、悩んでた友人も私の意見を聞きたいわけじゃなさそうだったので、そのまま黙った。
それはもう10年くらい前だけど、今なら「悩んでる人の話をとにかく聞く・受け止める」って、まずそれか…と思える。
意見なんて求めてねぇぞと。
あろうことか私は子どものいない立場でアドバイス的な発言をしようとした。
どんなテーマでも話し合える関係性の私たち、みたいなことに甘えすぎてた自覚もある。
そうやって、あのときのことをいまだに反省する。

が。
いまだに反省ってなんだよ。
武田さんの本を読んで何かが蒸し返された。
子どもがいないと、やたら申し訳なく思ったりする。
産んでないことに対してじゃなくて、「気遣いがもし足りてなかったらすみません」みたいな。
あとやたら自分を安く差し出す。
「自分はほら、子どもいないし時間たっぷりあるのでじゃんじゃん使ってください」とか、主に労働の現場で。
「子どもがいない立場でのあるべき姿」というのをずっとずっと模索してきた気がします。
それはとても苦しかったし、「べき」とかを探らなくてもいいんじゃないかと、
武田さんの本を読んで思ったわけで。

40代で未婚・子なしという日々は、体感としてそう悪くない。
だけど世間の40女の価値の低さよ!
ネットニュースの見出しを見てもさんざんな疎まれようで、結婚願望あり・子なしの要素が加わるとさらに雑巾みたいな扱いになる。
「誰が雑巾拾うねんww」みたいなコメント。
どうしてこんなことになってるんでしょうね。


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