「なぜ?」の言語化なんて難しすぎる

30代、いや45くらいまでは恋愛感情とか性欲とか世間に揉まれる自分があまりにもコントロールできなくて、そんな頃に他人から「なんでなの?」(なんで結婚してないの?子どもいないの?どうしてそんなに結婚したいの?)とか言語化を求められるのはとても酷と思う。
自分の何かが確実に枯れてきたと感じるまで自分でもわからない・言語化できないことはたくさんあるんだ。
それは自分の魅力とか欠点とか人から見える表面的なことよりも、自分の内側の奥深くの潜在的な不安・恐怖由来みたいなことで。


私は結婚してないので、「子どもどうするの?」など妊娠・出産に関することはほぼ聞かれない。
結婚にしても「なんでしてないの?」と聞かれることは意外に少なく、聞いてくるのはいつも少し酒が入った男性上司・同世代男性。
男のその露骨さにいささか辟易するものの、「うるせーな!」と心の中で思い切り悪態つけば、それでスッキリできる。

女性から問われるのとはなぜか訳が違うんだけど、誰に問われても「うるせーな!」で明るく話を締められればよかったのかもしれない。
だけど「なんでだろう…」って真面目に考えすぎてしまったなと。
それは自分の欠点を殊更えぐることでもある。

自分そこまで欠陥人間じゃないと思う!
って堂々とすることは許されない世間にいるような気がしてた。
どこに提出するわけでもない「結婚してない理由」を時々書き換えつつ携える(脳内で)
そういう時期は長かった(今でもかもしんない)

だけど30代、40代半ばまでは自分の本能みたいなものにどうしようもなく揺さぶられる。
欠けてるものを思うだけで涙が出てくる。
どうしてこんなに欲しいのかわからない。
叶わないことが不幸に思える。
残したい・引き継ぎたい
体の内側の叫びに沿ってあげられないことをつらく思うけど、「翻弄されていた」と思う。
仕組まれた本能に。
確かにあれだけの強い衝動が個々に備わっていれば、子孫繁栄していくだろうなと思う。
ただ、社会の変化スピードがあまりにも早いから、人間の営みから外れてしまったような自分をどうしても悲しんでしまうんだ。

本能通りに突き進んでいくことがどうしても怖いことがある。
社会が発達してあまりにも多くの情報を取り入れてしまったから。
自分が「怖い」「気が進まない」ことにダイブしない選択だって当然するだろう。
各々の判断はとても賢いはず。
誰かにわかってもらおうとしなくてもいいんだ。
とかいって私は、こういう場でそのへんの言語化を試みたりするのかも。
(それが癒やしになりそうな気がしなくもない)

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