不倫小説読んで恋愛を考える

桐野夏生の「ロンリネス・ハピネス」を読み終えました。

主人公はタワマンで一人娘を育てる有紗。
訳あって夫とは別居中で、ほとんどシングルマザー状態から物語は始まる。
だけどタワマン内で形成されたママ友グループでこの事実を明かすことはできない。
夫婦仲の不安定さは下方レベルに格付けされやすいから。
それなのに!
このタワマン内で不倫が繰り広げられる。
それは物語的なスリルと思えば楽しいとも言えるけど「なぜそんなリスキーな…」と、呆れと侮蔑のような感情も引き出される。


登場人物に共感できる箇所が少なく、読み進めるのに時間がかかりました。
強いて言えば、唯一タワマン居住者ではない門仲育ちの「美雨ママ」は言動が率直で、最初は彼女に好感を持ちながら読んでいた。
が、美雨ママはドロドロの不倫沼にハマっていく。
そのハマり方がまた目も当てられない激しさ、子どもより男を選んでしまう。

主人公・有紗のもとにやがて夫は帰ってきて、色々あった各々の過去もそろそろ水に流せそうかと思ったところで、同じタワマン内の既婚男・高梨と有紗の接点が生まれる。

この男・高梨がグイグイ野郎で、私はすぐベッドインするんじゃないかとヒヤヒヤしてたのですが、しそうでしなかったーーという展開を何度も見せといて、結果ホテルに入る。
あっという間に「貫通」という言葉で表現されたのには驚きました。
ただ、濃厚なラブシーンが年々苦手になってきてる私にはその2文字で十分です。



桐野さんはこの本で何を言いたかったんだろうと、ずっと考えながら読んでました。
「不倫」に対してなんらか思うところがあるのは感じられた。
それが非難なのか侮蔑なのかは判別しにくく、「人ってそうなるよね」という肯定を感じられる気もする。
とはいえ「ここまで行くのは見失いすぎ」という最悪パターンを描き出しつつ、泥沼からどうやって人は這い上がる? どう折り合いをつけて生きるの?という妥当案みたいなのを最後、クールに提示してくれたようにも思う。

それにしても恋愛の恐ろしさよ。
有紗も美雨ママも「子どもを捨てて男のもとへ」という思いが頭をよぎる。
その衝動や感情は珍しいものじゃないのかもしれない。
とはいえ、既婚夫に家を飛び出させて2人で家を借りるほど愛し合っていたのに、女が妊娠した途端に「堕ろしてほしい」と男が懇願したりする。
また、前の浮気で妻の自殺騒動があったにもかかわらず、また人妻に恋をして「今度は本気だ」と言う男。
この恋愛の激しさよ。

「一度寝たら、また抱きたくなってしまう」

これがすべてなんじゃないか。
泥沼への道。
有紗と高梨は一度は「寝ない」と決めたはずなのに、「抱きたい」というメッセージを有紗に送る高梨。
こういうとこだよ!
恋愛の醍醐味なんだかスリルなんだか。
動揺する有紗に、畳み掛けるように続く「会いたい」のひと言。

「20時からなら会えます」
あーあー返信しちゃったよ。
そうして家事や娘の入浴をガーッとこなして、会いに行く。
気力・体力すげぇと思った。
だけど性のチャンスが目の前にあると、人は何万倍もパワーがみなぎるのだろう。
スイッチ入れらちゃったら、コントロールは難しいですよ。
コントロールできる人のみ「正しい」とされるには、あまりにもハードルが高い。
「ラインの前で踏み止まれない人たちね」と軽蔑の目を向けることはできても、いつ自分も衝動に揺り動かされるか、「絶対ない」とも言えない。
いや、コントロールって大変よ、本当に…(誰だよ)


そうして夜、顔を合わせた2人は、性欲パワーが倍にもみなぎってて鼻息も荒い。
なのに、どっちかの余計な一言で「ひどい!」とかなって急にパワーがしぼむ。
動物みたいになってんのに、なぜかハートはガラスなんだ。
「神社行こう、富岡八幡宮!」
急に出てきた固有名詞に男の必死さを感じた。
まさかいい年の男が神社内のよきスポットで何やらしないだろうねと思ったけど、わりあいピュアな展開でした。

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恋愛シーンにおける、「今すごく本気」「本気であなたを愛している」という展開に辟易するようになった。
今の私にそれは「最高に美味しいガムの最初の味に感動している状態」に見える。
私も年を重ねていろんな感覚が枯れていき、自分も夢中になったはずの「恋愛」への感じ方がずいぶん変わった。
特に20代・30代の恋愛に特有の「性と結婚と常識感」が入り交じって絡まって、煮詰まりつつも求め合うどうしようもなさを体験して、よく自分生きてんなと思う。
あの部分を切り取れば、確かにCDアルバム1個できそうな美しさはある。
noteで同棲中カップルの日常を読んでても、明らかに夫婦とは違う「恋愛」という色が浮かび上がってて生々しい。
1日が「彼の腕枕」から始まったりする。
(夫婦のnoteで腕枕から始まるものは記憶にない)
でも夫婦のnoteは夕飯などの描写に「安定」がにじんでますね。
そのままお皿洗ってのんびり過ごして電気消して寝る。
ヘーベルハウスとかのCMでしれっと電気が消えて消灯時間が描かれるけど、その中での想像をわざわざしない安定感というか。

ところが絶賛恋愛中のカップルからはなんとも言えない刹那が漂う。
それは美しさでもあるんだけど、垣間見られる不安定さは読んでるこちらを揺さぶってくる。
成就が幸福とも限らないような未来への不安感。
隣にいるのに相手をつかまえ切れない(と感じている)寂しさ。
満たされなさを相手のぬくもりで癒やし合う「愛」と呼ばれるもの。
羨むほどの甘さが描かれてるのに幸せいっぱいでもないようなnoteに触れると、漫画「同棲時代」がいつも思い出される。

画像
画像はAmazonサンプルより「同棲時代(3)


幸せなんだか不幸なんだかわからない同棲中カップルの物語で、恋愛は常に「未完状態」なんだと感じる。
未完であるかぎりどこか虚しく、完成形じゃないからこそ美しい。
でもそんな状態は長く続かないじゃないですか。
濃厚なほどに寿命は短い。
なのに濃厚なほど「愛」を本物と思いたい。
それで自分と相手を一心同体に思ったり、足並みがずれると疑心暗鬼になり修羅場、不倫だったら何もかもを捨てようとする。
危険極まりないだろう、恋愛。


恋愛という美しき未完状態は人生の一部分だな、とは思う。
「その他」の時間がとてもとても長く、それを味気ないとか退屈と思う人が、恋愛という危険領域に吸い込まれていくのだろう。
とかいって「退屈くらいでちょうどいい!」とか自転車乗りながら唱和するタイプこそ、すぐそこにおそろしい恋愛が待ち受けてるんじゃないですかね。



玉木氏が会見で「妻子ある身で他の人に惹かれてしまって(心が弱くてすみません)」と言っていて、あの言い方ずるいよなと思った。
「既婚でも惹かれることくらいあるでしょう!」という擁護の余地を匂わせてる。
いや、そういうことじゃねぇんだよ!とツッコんだあとの言語化が意外に難しくて。
そういう狙いで誰かライターが書いたんだろう。
不倫には「そういうこと責めてるんじゃなくて」というややこしいラインがたくさんある。
常識感、責任感、信頼感など。
ただ恋愛ってそんなの簡単に吹っ飛ばす威力・魅力があるのだろう。
子どもを手放してもいいと思ったりするんだから。
ただそれは「未完」に耐えられるいっときのことでしょう、と思った。

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