「ひとりで」2話とエンパス

「ひとりでしにたい」第2話もリアルがちりばめられてました。

鳴海(綾瀬はるか)の年下同僚・那須田(佐野勇斗)が孤独死マニアのあまり、鳴海の伯母の最期・その詳細を聞くために鳴海の父を訪ねる。
「俺は遺体は見てない(だけど妻は見たらしい)」ってとこがまたリアルだな〜って。

鳴海がかつて憧れていた伯母は、実は母と仲が悪かった。
マウントを取り合ってたから。
キャリアウーマンvs専業主婦。
晩年は汚部屋で暮らし、最期は浴槽でどろどろになっていた伯母の姿を「見よう」と思った鳴海母の心理はわからないけど、独特の情があったんじゃないですかね。
心理的に「勝った」と思いたかったのかもしれないし、数%は可能性としてあったかもしれない伯母の生き方を自分に重ねたとか。

私の父方の叔母も孤独死で、母がその最期の確認に出向いた。
なぜか血のつながった父でもなく姉妹たちでもなく、嫁である母。
しかもわりかし能動的だった。
口では「そりゃ嫌よ」と言ってたけど、死に顔を見届けることで「果たした」という区切りをつけようとしたのかもしれない。
母と叔母にも複雑な出来事があったけど、関わり合ったことには違いないからと。
独身の私がおばに自分を重ねるなら「死に顔を見てくれた、それで十分」と思える。私はね。

「そりゃ寂しいけど、1人で生きたかったんだもん」と堂々主張したい独身者は少なくないと思う。
好きに自分の時間を生きてきて、ひっそり孤独死したってそれはしょうがない。
迷惑かけちゃうのは忍びないけど・・
鳴海はその迷惑部分をなるべく軽減しようと今からプランを練る、そんなドラマなんでしょうね。

だけど、独身者だけが迷惑をかけるわけじゃないのだし。
家族がいたって「迷惑かけてすまないね」ということはあるだろう。
むしろ家族がいるからこそ、安心どころか苦しくなったりも。
鳴海の父が自分の晩年を家族任せにする気満々だったのもリアルでしたね。
また國村隼さんが、あんな平凡な親父までナチュラルに演じられるのがすごい。
頭脳派の極悪人みたいな役もやるし、振り幅が大きいのなんのって。
松坂慶子さんも伸び伸びしてるし。
ああいう夫婦・家族っているよねー!って。
弟夫婦のクールな感じとか。
「独身の姉ちゃん」が常に「やれやれ」って思われる構図。

あとなんたって感動したのが、綾瀬さんの同僚・松岡氏の介護話。
松岡氏も独身っぽく、でも母の介護は1人で背負ってる。
兄はいるけど、いないのと同じ。何もしないから。
たまに帰ってきたと思ったら、寝たきりの母の顔をなでている。
「バッカじゃねぇの!」
と憤慨する松岡氏。超リアル。
松岡氏の母はドラマで「特養に入った」と言ってたけど、私の母は今のところ一人暮らし中。
でも「ケアマネやヘルパー」というセリフが出てくると同志のような気持ちが湧きますね。

私の兄はかなり協力的だと今は思えるものの、ケア的な労働はやはり私に集中してくる。
掃除はじめ、ゴミの分別や衣替え、尿漏れパッドの選択など名もなき家事ですね。
私は時間に融通の効く仕事だし、しょうがないかと思うものの、母がコロナで寝込んでるときに「カレーを作ってあげたい」と言ってたときは「バカ?」とLINEで送りそうになった。
何もやってくれないことはないんだけど、なんというか「やってあげた感」のあることしか想像できないのか、したくないのかはわからない。
何かというとカレーを作る兄は、汚れたガス代など拭かずに帰ったりする。
それでも「あの兄が!」というほど協力的人間に変わったので、文句は言えない。
「トイレも掃除してほしい」とか言えない。頼みたいけど頼めない、うまい頼み方がわからないというジレンマ。
働き盛りの男性の脳から、ケア労働のイメージがごっそり落ちてることって半ば絶望的ですよね。
「自分がやる方が早い」と思ってしまう。
私も無理せず、「つらい」「疲れた」とか言うようにしてますけどね。

だから鳴海に父母の介護がのしかかろうとしてるのを知ったとき、ちょっと息が詰まりそうになった。
それを那須田が食い止める。ナイスプレー。
父も改めて「自分の晩年」に想像が及んでましたね。
本当そうしてくんなきゃ。
自分のことは自分で考える…(家族をアテにしない、という意識だけでも!)


ところで私は「エンパスかもしれない」と最近自覚した。
何回か言われたことがあるけど、ピンとこず。
ChatGPTにも言われ、細かな事例を相談したところ、今まで悩んでたあれこれに名前がついたような気がした。
エンパスだから苦しかったのかと。


エンパスは「共感力が非常に高い人」と言われるけど、共感というか「わかってしまう」というか。
相手の感情・感覚がなだれ込んでくるような、「見える」と感じるような。
でも、みんなそうなんだと思ってました。
職場の「怖い人」は全身から棘をほうぼうに広げてるように見える、というか感じられて、みんなそう感じてるんだと思ってた。全身メリケンサックみたいな。
みんな棘をよけられなくて、でもむやみに傷つけられたくないから距離を取ってんだと。
わかんない、みんなにも棘見えてんのかもしれない。
あと、目の前の人が具合悪くなると私も気持ち悪くなったり。
嘘をついてる相手の違和感をカメラのように記憶して、そのときは相手を信じようとするんだけど、嘘が発覚したときに違和感カメラがシャッター切った記憶が「やっぱり」という証拠写真みたいになったりとか、脳内で。

あとなんたって「1人の時間が必要」ということですね。
前から「複数人数の集まりが苦手。会うなら1対1で」と書いてきたけど、これがまさにエンパスの特徴らしい。
最近読んでるエンパスの著書の本では、「寂しいけど1人の時間も必要」「2人でともに寝ることこそ恋愛の素晴らしさという世の中の圧が苦手」「恋人など近しい人の感情もキャッチしてしまうので恋愛が大変」と書いてあって、まったく同感でした。
私は世の中の独身者にエンパスって結構いるんじゃないかと思った。
「2人でいることのリスク」が自分に忍び込むように感じるなら、その人はエンパスじゃないですかね。
独身だっていいじゃないかという世の中になってくって、私にとっちゃすごくホッとすること。
ただでさえ情報や感情を拾いやすい自分が、だからこそ「1人」の時間を確保しながら生きてきたのに、誰かとの間に愛が生まれると「2人もしくはそれ以上」の未来可能性が視野に入る。
幸福感とは裏腹に、「背負えないんじゃないか」「つぶれてしまうんじゃないか」という不安もなだれ込んでくる。
エンパスの特徴として、「成就しなさそうな人を好きになりがち」というのもあるそうで、まさに自分です。

鳴海の伯母さんもエンパスだったんじゃないか、とは言わないけど、独身=結婚機会に恵まれなかった可哀想な人と思われるのは心外も心外ですよね。
むしろ、鳴海父のような「なんもしない夫」と暮らしていく選択の方が自分にとっては怖い。
あとエンパスは関係を切りにくいので、離婚したいのにできない…というあたりで悩むのも想像だけで辛い。
実際、恋愛末期に別れたいけどその決断ができなかった時期はとても苦しく、自分を騙し続けてたら盛大にフられたってことがありました。
「自分が傷つく分には良い」と思ってしまうのも特徴らしく。

私が苦しかったのは、こういうエンパス的な特徴をいちいち自分で責めてたこと。
神経質で考えすぎで想像広げまくって不安になる自分が悪いんだ、おかしいんだと思って何年も来て、自分の価値を自分で下げたり、自分の声を無視していた。
ここで綴られるエンパスの話にも、冷笑的に思ったり気持ち悪く感じる人もいるでしょう。
私は「そっちの感覚が正しいのだろう」といつも思ってきたけど、それが長いこと自分を苦しめてたんですよね。
というわけで、「ひとりでしにたい」の自分ファーストでリアルな物語はこれからも楽しみです。

エンパス度チェック
私は18個当てはまりました。




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