しあわせな結婚/侍タイムスリッパー/ひとりで

「しあわせな結婚」の制作段階から待ち望んでました。

(写真はTVerより)


阿部サダヲ×松たか子×大石静
この組み合わせだけでもワクワクするのに、玉置玲央や杉野遥亮まで出演と!

あと、「光る君へ」メンバーの段田さんやはんにゃ金田さんも。
玉置さんは「恋する母たち」や「離婚しようよ」にも出てたので、大石さんに気に入られてるのかな。

松さん、すごく不気味な女性ですね。
あの奇妙な感じが、単に「そういう女」「そういう女を愛した男」というおもしろさなのか、それとも不穏さの暗喩か。
このどっちかわからない感じを、阿部さんと松さんっていつも上手に見せてくれる。
幸太郎とネルラは、幸太郎入院中に出会って、退院日に「うち行きません?」ってネルラに誘われ交際スタート→スピード結婚。
「なんかヘン」なとこをネルラにたくさん見出す幸太郎だけど、「それでも、いい」と幸福感をかみしめる。
思えばネルラの唐突な自宅へのいざないもヘンだし、家に着いたら叔父さんが焼いたというクロワッサン差し出されるのも怖い。
ネルラの食べ方も相当おかしい。
でも幸太郎に後戻りする気持ちはなかった。
というかむしろ、ギアを上げた。

「愛する」というのはかなり意思を伴うもので、「信じよう」と決心すること。
じゃないのかしら。
愛する・信じると決めたら一直線。
まるで惚れ込んだ宗教に入信するように。
阿部さん演じる幸太郎を見てそう感じた。
だって独身ずっと貫いてきた幸太郎が、ネルラの家族と同じマンションに住み、定期的に叔父の作った料理を食べる生活を受け入れるなんて。
「今日何食べたい?」
この手の質問が苦手だから結婚しなかったと思い出した幸太郎は、「でも、いい」と結婚肯定へと気持ちを切り替える。
今のところ、無理な肯定という感じでもない。
愛する決心の揺るぎなさ。
それは一見、「相手の魅力に惹きつけられたから」と言いたいようなこと。
でも本当は当時のコンディションや環境など、ほとんど自分の都合で飛び込んでいる。
幸太郎は入院時・孤独のさなかに出会ったネルラを「マリア様みたい」と思った。

でもネルラの過去に少し触れてから、大きく揺さぶられる。
そういえば不気味だらけのこの女を、本当に自分は信じて・愛し続けられるのか?
そのへんがドロドロ&コミカルに描かれていくのでしょうね。

信じると決めた方がどれだけ楽だろうと思う。
つらいのは、振り返って「信じた自分が愚かだった」と思うほど過去を否定したくなるとき。
私は日本人に西洋的な「愛の誓い」なんて向いてないんじゃないかと思う。
信じることが苦行に近い、そんな揺らぎのほうが私は自分っぽいですけどね(だから独身か)
大石静さんも「”妻を愛し抜く”という現実に存在しない男性を描きました」と言っていた。
「存在しない」と言い切ってる!
確かにそう思う。
それは不誠実とかじゃなく、一直線じゃない方が長生きできるからじゃないですかね。
逆に女は愛や信頼の持久力がプログラミングされてて、それが命を生み・育てる覚悟につながるのかな、なんて。
幸太郎がネルラの過去に戦慄したのは、「一直線を貫いたら死ぬかも」と感じたからなんじゃないか。

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日テレで放送していた「侍タイムスリッパー」、いい映画でした。
人気のじわり方が「カメラを止めるな!」の再来と言われたそうで、確かにカメ止めみたいな低予算感がすごく光ってるように感じた。
役者も主人公の山口馬木也さん以外、全然知らない人でした。

(写真は映画.comより)

幕末の侍が現代(2007年ごろ)の太秦にタイムスリップするというお話ですが、本物の侍が抱える緊迫感と、京都の人たちのゆるさ、このコントラストがたまらなかったです。
2007年にまだ青い羽根の扇風機ってのがいいですね!

見ててずっとワクワクしていた。
この高揚感は、まさに金曜ロードショーで邦画を見ていた80〜90年初頭のあの感じ。
あのころの映画に詰まっていたゆるさ・コミカルさ・そして真剣度が満載で、それは過去のノスタルジックじゃなく、今も生み出せるんだということに感動した。

ツッコミどころが結構あって、「誰かと見たかった」なんて思っちゃいました。
「優子殿」の存在がまた光ってた。
「カムカムエヴリバディ」のひなたみたいな感じ。
私は時代劇ほとんど見ないけど、時代劇を再興させようとする物語にはアツくなりますね。
斬られ役ってなぜあんなにドラマチックなんでしょう。
山口馬木也さん、あんなに整ったお顔立ちなのに隙だらけ。
会津弁は独学だそうで。
でも「本当の」侍っぽく、生死の緊迫スイッチがすぐ入るところに感動しきりでした。
京都の住職と妻・節子さんがまた良かった〜
あと、よくわかんないテンションの監督とか、ナルシストっぽい主役俳優(心配無用ノ介)。
なんたって関本さんが素敵。峰蘭太郎さん。

ラストの決闘には息をのみました。
映画を前にあんな緊張感を抱けるなんて嬉しい。
展開に「かぁ〜っ!」と唸った。
それでどんだけタイムスリップしてきてんだろう。

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「ひとりでしにたい」第4話。
前半は専業主婦の「こう生きるしかなかった」という声。
後半はシングル女の独白。

最近、「独身女性の生き方」が肯定的に描かれるドラマや企画が増えている。
今朝もネット記事で「あさイチ」の特集が紹介されていた。
どの女性も「何かを成している」方ばかりで、例えば創造性を生かしていたり作品を生み出してたり、はたまた「つながり」を形成していたり。
「そうじゃねぇ」と叫びたくなった。

なぜ「生み出す人」ばかりいつもメディアに取り上げられるんだろう。
その浅はかさというかな。うわずみすくった感。
ドラマの方がよっぽど心を寄せられる。
ドラマというか漫画ですね。
「ひとりでしにたい」も「しあわせは食べて寝て待て」も漫画。
どちらも主人公は、「ただ生きている」部分が強調されてて、特別何かを生み出したわけではない。

「ひとりで」第4話は「なめられることに耐えられるか?」が裏テーマだったでしょうか。
自分の時間もお金も好きに使える→それが幸せ→だからずっとひとりでいい♪
と週3日思えても、「なめられる苦痛」のことを週4日考えてますね、私は。
何を楽しんでも、誰に恋しても年齢と独身で「イタさ」と見られ、能動性全般「必死だね」と冷笑されがち。
「大丈夫?」とふいに問われる意図は不明だけど、年1回の誕生日LINEには生存確認感が漂う。
年下男性と普通にしゃべってるだけで「狙ってる?」「顔赤くない?」みたいに言われることは今でこそないけど(聞こえてこないだけかも)自分が20代の頃、独身女性先輩は陰でそう言われていた。
元彼から「元気?」とメールが来ると、懐かしさは一瞬で警戒心に変わる。
返信タイミング、スピード感、文字数、どうすれば「まだ俺を想ってるのか」と思われないか。

思案の結果「元気です」と無感情っぽく返信し、みくびられるよりはマシと、自分に言い聞かせる。
でも本当の目的はなんだったのか。
ただ昔話をしたかった、それならそれでいいはずなのに、自分を守りすぎたかもしれない。
ひとりで生きること自体は気楽なんだけど、なめられ続ける(と構えてしまう)人生に耐えられるのか?
これは案外に大きな壁と思う。

鳴海には那須田という良き相棒ができて、人生の伴侶になるかもしれない。
でも私だったら、年下のエリートがくっついてきた途端にバランス感覚失って、期待感膨らませすぎたり、周りから見える自分らに不安を抱いて情緒が乱れ。
結果、那須田が離れていく…そんなストーリーを演じてしまうだろう。
でもみんなそうじゃないの?
年を重ねて、生き方までかっこよく見せる。しかも何かを生み出すなんて、そんな芸当できやしない。
自己肯定感とかじゃなく、「生み出してこそ人生」みたいなムードはリアルじゃないとわかったから。
Xやインスタの登場で、わかりやすく「創造」が目に入りやすくなったけど、何もしてない人にこそ世界を安定させる地道なまともさがあるはずで。

この1週間の3作分の感想でした。




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