「そういうふうにできている」

やっと買うことができました。
さくらももこさんのエッセイ「そういうふうにできている」。

どこの本屋に行ってもAmazonですら、このエッセイだけが入荷待ち状態でした。
今では各エッセイの増刷版が店頭に並んでいます。
切ないのは、ももこさんがもう亡き人として紹介されてることでした。

売り切れるだけあって一気に読んでしまいました。

この本はももこさんの妊娠・出産について主に書かれたものですが、ももこさんはそのご経験、とりわけ帝王切開の手術について独特の表現をされているのです。

手術を「これまでの人生で最も死に近い状態」と表現され、局所麻酔中には、かねてから関心のあった「脳と意識と心」について貴重な体感があったようでした。
そんな局所麻酔状態で聞こえてきた赤ちゃん誕生の瞬間について。

遠い宇宙の彼方から「オギャーオギャー」という声が響いてきた。私は静かに自分の仲間が宇宙を越えて地球にやってきた事を感じていた。

私はなんだかここですごく泣いてしまった。
不思議に強い共感か、新しい表現への衝撃か、感じては消え去るような波に襲われ、本を閉じてしばらく泣いてたほどでした。
妊娠・出産についてとにかく淡々と綴られていた、そのクライマックスに感じたからというのもあるかな。
赤ちゃんを「宇宙を越えてきた仲間」と表現した人は他にいるでしょうか。

ももこさんはこのエッセイで、ご自身の変化を実にクールに、そして「なぜなのか?」をひたすら観察ふうに語られています。
自称“快便女王”であるももこさんが体験した苦しい便秘の章では、子どもがおなかにいるのにギリギリまでリキんじゃう描写に、手に汗握るほどのスリルを感じました。(妊婦は力んではいけないと注意書きあり)
しかしそれができるのも、ももこさんが「もうそこまで来ている」と、体内・肛門周辺とじっくり向き合ったゆえで…。

またどんな感動シーンでも、顔に縦線入ってるような「やべぇ…」という動揺にあふれていて必ず笑わせてくれる。
ハッピーな笑いというより、この作者マジやばいよね…と思わせる巧みさ。
なのに泣ける!

さくらももこさんは、TVアニメ「ちびまる子ちゃん」からの世間一般のイメージはよくわかりませんが、「子どもの無邪気さをハートフルに描く温かい人」だとしたら、コミックやエッセイから漂うものは随分違う気がします。
時に残酷な子どもの視点も忘れてないももこさんなのです。
大人の正義の中に支配を浮かび上がらせたりもする。
産まれた子どもは自分ではない、全く違うひとりの人間、とおっしゃってたことも印象的でした。

コジコジでは、登場人物みんな「メルヘンの住人」で、1人として同じキャラクターがいません。
ももこさんの作品では、お互いの存在を付かず離れず程度に認識しつつ生きている、という世界が繰り返し描かれている気がします。
それに、どこか江戸っ子風な無常観が漂うのです。
排除しない。ただ有るということを見つめる。
それは人だけじゃなく、なんにしても。

なんとももこさんは、体外離脱体験者のロバート・モンローの著書を読んだことも明かしているのですが、それは巻末のビートたけしさんとの対談で語られていたことでした。
横尾忠則さんに、「(手だけが動いて描いてる感覚を)結局それは霊的なものなんじゃないか」と言われたというお話まで。
「そういうふうにできている」カバーのキラキラした模様が小人だったと気づいたら、目に見える全体の印象まで急に変化した。
宇宙を感じるだけで俯瞰の感慨がこみ上げてくるようなそれと、なんだか似ているような…。

日常感に溢れてるはずのこのエッセイを全て読み終えたあと、なんともスケールの大きい気持ちに包まれたのでした。
ももこさんはそういう表現者であることを、またひとつ知れた気がしました。

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