映画「きみの鳥はうたえる」をU-NEXTで見ました。
柄本佑さん・石橋静河さん・染谷将太さんの物語。
人と石橋静河さんの話をすると「この映画を見た方がいい」とよく言われます。
(写真は映画.comフォトギャラリーより)
柄本さん(僕)と染谷さん(静雄)が同居する友人。
石橋さん(佐知子)と柄本さんが本屋バイトの同僚・交際。
染谷さんと石橋さんは・・・
星的にも惹かれる3人でした。
柄本さん射手・石橋さん蟹・染谷さん乙女。
同居人の柄本さんと染谷さんがスクエアなんだぁと思ったし、すぐ交際に発展する柄本さんと石橋さんは150度と。
石橋さんと染谷さんは60度・セクスタイル。
2人が住む部屋にすぐなじんだ石橋さんは、染谷さんから「2人はなんで知り合ったの?」と聞かれる。
「バイト先が一緒で。2人はなんで?」
「俺たちはアイスクリーム工場で一緒だった。エスキモーみたいな格好して作るのが大変でさ…」
染谷さんの様子を「お?」と珍しそうに見ている柄本さん。
意外と社会性あるんだね…と見守ってるような。
染谷さんは無職中でちょっと引きこもりっぽくもあり、柄本さんはその静雄を寛大に包む兄みたいだった。
石橋さんも静雄とは彼氏の弟っぽい距離感。
柄本さんはどっからどう切っても射手座男でした。
現代の射手座。三宿のスチャダラみたいな。
この舞台が函館でよかった。渋谷や目黒だったらいまいましく見ちゃうと思う。
柄本さん演じる「僕」は一見汚い髪・服装だけど、めちゃおしゃれ。
すべてにおいて肯定的で、基本束縛ゼロ。自分の彼女が誰と何しようが自由じゃんと。
喜怒哀楽の「哀」がない。
「怒」がないようにも見えるけど、怒ると怖そうな迫力はある。
「哀」の雰囲気を「別に」と避ける。
染谷さんがまたまさに乙女座という感じ。繊細な緊張感が漂ってました。
家庭環境・とりわけ母親との関係が複雑そうで、優しげでありながらストレスMAXになると何するかわからない狂気が秘められてる。
だから織田信長に選ばれたんだよなぁとつくづく思いましたよ。
そして言動がなんだかんだまとも。きれい好き。
石橋さんを令和の赤名リカに抜擢した方は確実にこの映画を見てると思いますよ。
蟹座って星占い本とかだと「ぶりっ子」とか「涙目」「お母さん」みたいな情のあたりが強調されがちですが、石橋さんを見てると新時代の蟹座はヤンキーがちょっと入ってくるんじゃないかなと。
ヤンキーといっても新時代のヤンキーで、「いいじゃんべつに」という強がり感。
射手座の「いいじゃん」とは違うのです。
校則をこれ見よがしに破って「いいじゃんべつに。誰もあたしのことなんて…」という寂しさ全部語る前に誰かに抱きしめられる感じ。
感じ、とかいって新時代でもないか。
石橋さんはいつも自由人みたいなキャラですが、なんだかんだ「情」の人なんですよね。
なんだかんだ蟹なのです。
この物語は柄本さんが人を振り回してるように見えて、佐知子が人の心を随分かき乱してた。
でも石橋静河さんという方は独特で、「女」でありながら女としてぶつかってこないんですよ。
いや、体の関係まで早いから最初は女を前面に出しているけども、関係深まるごとに女じゃなくて「人」になっていく。
これは「窮鼠」の成田凌さんにも感じたことであり、また図々しいながら「自分と同じ」という重ねやすさがある方。中性的な仕草や声がとっても魅力なのです。
男は結局、「人」を求めるのであって、女が欲しいわけじゃないんじゃないか。
やっぱ窮鼠とつながっちゃうけど、「女」とか「男」で自分を埋めようとするうちは、どこにも到達しないような。石橋さんを見てるとそこまで思っちゃいます。
ありのままの人間としてぶつかっていく。だから関わった人みんなから愛されるのだと思う。あくまで役の話だけど。
それは、同じ本屋のバイト女子大生との対比で浮き上がることでもある。
あの女子大生すんごい肉食女子だったな。
「あとちょっとだけ…ね?」
と男子をさらなる夜へと誘う折に、親指と人差し指で「ちょこっと」を表現して目の高さに掲げる女ですよ。
もちろん上目遣い。
柄本さん演じる「僕」はこういう女を好きにはならないだろう。きっとたぶん。
柄本さんと石橋さんが重なると、柄本さんの大柄さがよくわかる。
男の人を好きとか「男だ」と感じるときは、そのたくましさの中に自分がいると思えるとき。
でも同じ背格好で感情の振幅も似たような、双子みたいな人を目の前にしたときのあの通じ合いもまたなんでしょうねと。
自分はこれから女として生きていくのかそれとも分かり合いの中で生きるのか。
もちろん両方ってことがあるにしても、「女」を意識させられる人とは長く続かないのかもしれない。
でも続けたくなるから苦しくなるのであって。一生女でいたいと思う苦しみ。
(一生女でいたいと思わなくなれば苦しくなくなる)
石橋さんと柄本さんは太陽150度というわけですが、この150度というのはやっぱり恋愛が美しくなるのです。
たとえ別れてもなかなか忘れられない・忘れたくないほど景色もお店もなぜかドラマの一コマみたいに印象にこびりつく。
だけどソフトアスペクトと出会ってしまうとそっちのしっくり感が居心地よくなってしまう。
この映画はまさにそんな物語でした。
「やっぱり誠実じゃなかったんだ」
石橋さんが柄本さんに興味抱き始めのときに言ったこと。
それが魅力なんだと石橋さんが誘う。
この石橋さんの目がすごかった。あなたに興味ありありという視線。私にはできないな…。
そして「俺すんごい興味持たれてる?」と感じつつさらっと流す柄本さんの表情もなんだか懐かしい。
平成の青春男女という感じ。
誠実さってなんでしょうね。
佐知子は柄本さんと同時進行で店長(萩原聖人さん)との交際が続いてて、「めんどくさい関係なしね」と柄本さんに軽く釘さし。
それが手軽にできそうだから柄本さんに興味抱いたんだとも思うし、それでも誠実さはあるはずと、進んで見出したかったんじゃないかな。
表面的には「別にこういう関係でいいじゃんね」というライトさで始まる。
やがて「ちゃんと向き合ってほしい」ということを求めるのは佐知子。
ちゃんと嫉妬してほしい。なぜオール「いいんじゃない?」が愛に欠けてるように思うのか。
いいんじゃない?=どうでもいいんじゃない?って聞こえてしまう病?
柄本さん演じる「僕」は、どう転んでもマイノリティーに転がる男に思えた。佐知子はそれに気付いて惹かれていったのかも。
でもなんか、現代風の「僕」にはそれが新時代の男の美学になりそうな危機感も抱く。
おしゃれで寛大で「いいんじゃない?」男がファッションみたいになるペラ感。マジョリティーベースの病巣。
これは物語だから成立するのであって、あれがリアルに溢れたらもう順応しきれません(順応対象から外れてるにしろ…)
でもこの物語って昭和の作品なんですよね。
佐藤泰志さんの1981年の小説が原作。
だから「僕」は本当はどう描かれてるのかとても気になる。
三宿男ではないはずで。
3人で遊んでるうちに、佐知子に静雄の誠実さが浸透してしまう。
静雄が佐知子を「好きかも」って気持ちをたぶん抑えられなくなって、それが漏れ出ているのを佐知子も気づく。
気持ちが正直に出ることだけが誠実じゃないだろうけど、「わかりやすさ」は相当な安心材料で。
150度の関係を佐知子は終わらせるんですよ。
きょうだい・同級生のような60度の過ごしやすさを選ぶ。
自分を振り返っても周りを見ても、150度の関係性は続けるか終わらせるかの悩みが深いです。
・2人から生まれるセンス重視で、苦しみや噛み合わなさも楽しみながら150度を続ける。
・噛み合わないとこなど問題点を見ないようにして強引に150度を続ける。
・噛み合わないってなんてくだらないんだと関係を終わらせる。
この映画ですばらしいと思ったのは、行為の前に「ゴム持ってる?」という確認があったこと。
石橋さんがベッドから転げ落ちながらポーチからゴム取り出したのにはしびれました。
そうじゃなくっちゃね!
しかし相変わらず吐瀉と乳首を描く日本映画の風潮にはちょっと引く。
この映画は乳首なし。でもなんでわざわざ汚物を描くのか…。
染谷さんの母役・渡辺真起子さんがまたすばらしかったです。
全体的に「俳優をたっぷり撮ってるな」と感じるアップが多くて、渡辺さんの目の動きとかかすかな表情もずっと見てたかったです。
柄本さんと2人きりになるところ、食っちゃうんじゃないかみたいな迫力もちょっとあった(笑)
あと石橋さんがカラオケで「オリビアを聴きながら」を歌うんだけど、ずいぶんジャジーなオリビアだなと。
誰のカバーかと思ったらハナレグミだった。
静雄と佐知子2人で行ったカラオケ。初めての2人きり。
歌の世界にどっぷり入る佐知子のこと「なんかいいな」って目で見る静雄。
同僚とカラオケ行ったときのことを思い出しました。
殻を破れずわざと音痴に歌う人よりも、この曲好きなんだなぁ〜ってくらい歌う人に惚れちゃいますよ。
クラブで踊る石橋さんも素敵だった。
ラストシーン、石橋さんの表情で終わる。
「泣くな、泣かないで」と祈った。それは「そっちに行かないで」という私の願いをうっかり託したということでもあります。
「きみの鳥はうたえる」というタイトルは、原作ではビートルズの「And Your Bird Can Sing」が由来のようですが映画ではこの曲への言及はなかったです。ちょっと聴きたかったな。
恋心を久々思い出した映画。
石橋静河さんに青春時代の自分が引き出された感じです。