ちゃんとしたい恋

歳をとると、自分が若いころどれだけ恋で悩んでいたか忘れていくものです。

チャット占いでは主に女性から恋の悩みが寄せられますが、悩みというよりもう怒り。
何に怒ってるかというと、相手が「ちゃんとしてくれない」ということ。

・ちゃんと既読後、返信してほしい
・ちゃんと告白してほしい
・ちゃんと定期的に会ってほしい
・結婚という将来の道筋をちゃんと示してほしい

また、「相手が自分をちゃんと好きなのかわからない」というお悩みも多いです。
その場合の「ちゃんと」って、一体何を求めてるか人それぞれなんですよね。

女性が「ちゃんと」を恋愛に求めるのは、しょうがないことではあります。
出産リミットから逆算して人生設計したい気持ちはわかる。
「〇〇歳過ぎたら急に選ばれなくなる!」という強迫観念だって個々人にあると思います。

でもいちいち反論するならば、本当に子ども欲しいですか?ということをもう少し考えてみてもいいんじゃないのかなと。
「なぜ欲しいですか?」と問うたとき、「みんな」というワードが真っ先に出てくる場合、それは本当に欲しいわけじゃないんじゃないかと思うけどどうでしょうね。

そして「〇〇歳過ぎたら急に選ばれなくなる!」という恐怖。
まずここですよね。選ばれるということ。
だけど本当に「〇〇歳過ぎてるから対象外!」とかで相手から切られたとしたら、そんな野郎はこっちから願い下げしていいやつです。
その人のお金や地位・男前度がどうしても欲しいんだと切望する人にとっちゃショックかもだけど、町中華で頬張ってる男には「対象外!」ってラインなどないはずです。たぶん。本当に。

結婚や出産を思うとちゃんとしないと!と気合いが入る。
本当は妥協だって1ミリもしたくありません。
しかも条件の妥協というより、「好きで愛おしい」という心の妥協も本当は誰だってしたくないはず。

今もう、妥協するくらいなら1人で生きていくんだって十分幸せになれる世の中ですね。
「幸せに生きる」ということにもっと欲張っていいと思う。しかし幸せってなんですか?ということ。
そりゃ誰かと愛の交歓があればダイレクトに幸せだろうけど、「自分をまず大事にする」とか「自分のやりたいことをやる!」とかを女が心から思えたり、それを選択しつつ結婚も出産もあれこれ両立…というのはまだ難しい時代でしょうか。
結婚したら引っ込めなきゃならない気がする夢は、一体いつどんな形で芽を出すんだろう?
結婚後にだってゆっくり育ててほしい芽。

パートナーに「ちゃんと」を求めるあまり怒りも噴き出す人は、自分の「ちゃんとストーリー」を相手で埋めようとしてるように見える。
本当はみんな野生動物のように敏感なアンテナをまだ持っていて、「そのパズルを埋めるのは自分じゃなくてもいいんじゃないか?」と察知して尻込みする。
「ただ人生ゲームのマスを埋めてアガりたいだけだろ?」と。あの車に差すピンは、青色であれば自分じゃなくてもいいんだ。
男性は鈍感に見えても敏感で繊細で、女性だって敏感で繊細だからこそこんなにも日々胸を痛めてるわけで。
つまり女性は「ちゃんと」がまるで自分に課された大きな使命みたいに背負っちゃってる・背負わされてるようなムードが問題なんじゃないだろか。
「ちゃんと産む」そうじゃないと社会の扱いが全然違うんだよっていう未来&空気察知能力がどうしたって身につく。
でも産めるかどうかなんてわからない。
「産む」ということにすべての焦点を合わせることは自然かどうかわからない。
でも自然かどうかより大事なことがあるのかもしれない。

常々、男性と女性の意識の乖離がすごすぎると思ってますが、やっぱり世の中のせいですかね。
「ちゃんと」しないと生きづらい世の中。
どうしてこんなことになったんだろう。
「ちゃんと」は人を苦しめる。

れっきとした社会問題なんだ。ひずみがあちこちで出てきてる。
思いやりを大切にしてほしいです。
「私とあなた」という適度な距離感で互いの存在や時間を尊重すること。
一生の友達を失わないように慎重に大切に付き合っていくことじゃないのかな。
時としてそれが踏みにじられることもある。
そういうことが続いたら友達(恋人)解消したっていいじゃないですか。
出産よりも個人の尊厳が大事でしょう。

でも告白前に体を許さない!これはちゃんとしたほうがいいです。
あと避妊も絶対ちゃんと!
「ちゃんとしなくても私は無問題」ならよいのです。
ちゃんとすべき「ちゃんと」が流されてしまってからちゃんとを求めても遅いので、ちゃんとしたい人はそこ絶対ちゃんとしてくださいということ。うるさくてすみません。

ちゃんとしたい恋” への2件のフィードバック

  1. コメント失礼致します。
    当方、月星座、獅子座です。
    「好き」と言いにくいのすごく分かりますっ…!!
    自分でも何故なのか分からないぐらい「好き」とか「愛している」と言葉にしようとすると喉に突っかかってしまいます。
    好きという気持ちは、行動とか信頼しているという形で表現しているつもりですが、人によっては分かりづらいと捉えられても仕方ないでしょうね…。

    これからも投稿の更新楽しみにしておりますm(_ _)m

    1. Monoさん

      コメントありがとうございます。
      月が獅子でしたか!
      愛情表現の言葉が喉につっかかる感じ、わかります!
      そのつっかかりが怒りに変わりそうになるんですよ。
      愛情は行動や信頼感、ほんとそうです。
      でも「それじゃわかんないよ」って苦情も減らないですね笑
      外国人くらいオーバーに表現することも愛のための努力かも…と思えてきました。

      更新を待ってくださるお言葉、嬉しいです!

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