昨日深夜に再放送してました。
大林宣彦監督の尾道三部作の一つということはうっすらわかっていても、尾道の町並みがあんなに美しく撮られていることを全く知りませんでした。
住んでみたい!
あんな道のりで通学してみたい!
いつも通りかかる友人の家に温室があったなら!
「未来」とか「時空」がテーマの物語に、あの瓦屋根が強調された古い町並みというマッチング。
最初から最後まで、うっとりしどおしでした。
♪~ 過去も未来も星座も超えるから 抱きとめて…
映画を観終わった今、この主題歌「時をかける少女」の歌詞がぞわぞわっときます。
涙が出そう。
そしてラベンダー。
これまた、この間買ってきてベランダに今置いてあるのです。
植物を育てるなんて、私に最も向いてないことだと思ってたのに、結婚式で友人からブーケをもらってきたときから、植物も生き物だなぁとしみじみ愛らしく思って、勇気出して購入。
ラベンダーってまたかわいらしくて健康で。
起きたときにすでに暑いと、茎全員しなしなとうなだれてるんだけど、たっぷりと水をやればあっというまにシャンとする!
そしてあの香りね。
映画の始まりはモノトーンの星空から!
知世ちゃんと尾美としのりさんが高校のスキー合宿らしく、夜のゲレンデで2人星空見上げてる。
付き合ってるわけじゃなくて、幼なじみの2人。
みんなのところ戻らなくちゃって、知世ちゃんがくるっと振り返ったら、こつんと当たった誰かの胸。
それこそが深町くん。
あ~映画を観終わった今、このシーンを改めて思い浮かべると涙が出そうです。
「僕に都合のいいように、君に記憶をインプットしたんだ」
のちに深町くんが、知世ちゃん…芳山和子に語った事実。
この映画「みたいな」映画は、きっと他にない!と強く思った。
映画なんてあんまり見ないくせに、断言したいほど。
筒井康隆さんの素晴らしい原作があっての名作というのはもちろんのことですが、やっぱ何もかもが完璧で、「込められている」という丁寧さと、発想が自由で斬新で新しすぎるその挑戦的なところとか、どこかあふれるダサさとかありえなさとか、だけど知世ちゃんのクールな顔だちですべて中和されちゃうんですよね。
尾美さんと、深町さんを演じた高柳さんという俳優さんも、ちょっと遠目で見ると一見区別がつかないようなとろんとした二重に丸いお鼻ですが、やっぱ知世ちゃんがそこに清涼感をもたらすんですよねー。
最初は優等生みたいな笑顔ばかりの知世ちゃんだけど、実験室で倒れてからは自分の目に映るものが奇怪に思えて、自分はどこかおかしくなってしまった、普通じゃなくなってしまったみたい…と、怯えたり憂える表情が増えるのですが、この2時間でキョトンとした寄り目知世ちゃん中毒になってしまった!
知世ちゃんが最初に異変を感じるシーン。
朝起きて時計を見たら「9:87」になっていた。
こういう「仕掛け」にゾクゾク。
あふれた「普通」に何をどうすればもう「普通」じゃなくなるか。
こんな静的な発想にただただ感動。
そしてなんたって、高校生の淡い恋心。
知世ちゃんは深町くんがもう恋の対象なんだけど、でももう一人の幼なじみの尾美さん…吾朗ちゃんにも愛情はある。
授業中いつも寝てるような吾朗ちゃんが、家業の醤油造りに集中してる姿に知世ちゃんは、どんな気持ちを持ったかな。
頑張ってるわね…なんて、保護者みたいな気持ちかな。
でも、それが「色気」とまだわからない何がしかを感じたんじゃないのかな。
正解はわからないんだけど、和子・吾朗ちゃん・深町くんのほんわりした三角関係が、映画見ながら本当に三角の一片のあっちが光ったりこっちが光ったり、心もデジタルのようなアナログのような、こんなにTVのこちら側と連動させる物語ってあったでしょうかね…。
当たり前だけど、携帯電話なんてないから用があればすぐ出かけていっちゃう。
坂上ったり下ったり、なかなか遠そうなのに。
知世ちゃんは赤い鼻緒の下駄でね!
おしゃれ!
尾道の路地を、カランコロンとな…。
弓道部の和子。
きりりと構える姿は、何を表していたのだろう。
あの知世ちゃんはとても美しい。
あの美しい造作を撮りたかったのかな。
そしてやにわに弓を引くのをやめて駆け出して、崖で植物採集している深町くんのところへ「来ちゃった」という知世ちゃん。
あの崖のシーンは、すごかったです。
「えーっ!?」
という唐突さがいっぱいで、「あぁ昭和だな」というちょっと照れくささと、でも「これしかない」というような、こういうのを超えるものはもうないんじゃないのかなという決定感。
前世のお話ではないんだけど、ヒプノセラピーを受けたときの感じがちょっとよみがえってきて、2度目の実験室のシーンでは泣けてしょうがなかったです。
「さかのぼる」
という感覚が、自分のどこかは覚えてるんだけど、主である私は思い出せないみたい。
でも、体のどこかが何かを思い出したがっていて、”会いたい”みたいな引っ張られる感覚が、思い出せそうな、でもあきらめるしかないような…。
和子の深町くんへの想いは確かに真実なのに、それすらインプットされた記憶だなんて言われたら…。
それが消えたら自分はどうなってしまうのだろう。
記憶は消えても空虚な気持ちだけが残って、愛した人すら忘れてしまう?
でも深町くんは、最後に「証」を和子の頬になすりつけた。
あの黒いものって一体なんなのだろう。
瓦屋根ばかりの町を駆け巡る和子の下駄の鼻緒の赤さとか、険しい崖のあちこちから顔を出してる真っ赤な花とか、うっそうとした温室の中のラベンダーとか。
ひっそりとした色の対比がすごく好きだった。
クライマックスの「色」は、知世ちゃんの頬にべっとりついた黒いもの。
「未来の薬草博士」である深町くんは、何かとっておきの薬草でも、なすりつけたのだろうかな。
ははぁ~!
よくわからないけど、このシュールさもまた、「他にはない」なんて思っちゃう。
あるんだろうけど、私の世界にはないのです。
このときの記憶を、大学院生になった和子は覚えているのかな、もう失われているかもしれません。
「私はなんでこんなに薬草の勉強に邁進しているのだろう」
そんなセリフはどこにもないけど、薬学にこだわりすぎて婚期も逃しつつある自分にちょっと疲れてるような陰ある知世ちゃん。
「一体どこから薬草への熱意がこんなに湧いてくるのかしら」
こんなセリフもないのだけど、実験室を出たところで誰かにそっくりな男性と、こつんとぶつかりそうになる知世ちゃん!
緑とかピンクとか、カラフルな本をたくさん抱えて、そんな鮮やかさと、「あの人…?」っていう、高校生のころのようなまぁるいキョトンとした寄り目表情を一瞬見せて、物語は終わり。
ユーミンの作った「時をかける少女」の詞も曲もまた、なんて素敵なんでしょう。
物語の不思議さと、主人公・和子の恋心にぴったり寄り添っている。
映画を見ながらずっと切なさが途絶えなかったのは、音楽監修が松任谷正隆さんだったからかもね!
実験室での旋律が、特に切なくて好きでした。
こんなに誰にでもわかりやすくて、こんなにもありきたりでない映画って、やっぱりもう出現しない気がします。
今は何もかもがデジタルすぎて。
アナログな世界から未来や時空を語るという独特の時代。
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」とか「2001年宇宙の旅」が今でも多くの人のナンバー1映画なのも、そういう憧憬があるのかな。
「時代を遡る」という物語を生み出す人は、その人自身が前世の何かを思い出そうとしてるのかな…と思えたり。
人の創造性って、それがどこから来てるかなんて誰もわからないんだけど、突飛なのに多くの人に受け入れられて愛されてる作品を生み出す人は、きっと誰にも共通して流れる「川」の記憶を表わしてくれたということなのかもしれません。
「わーおもしろい!」
だけじゃすまない切なさは、もしかしたら誰しも何かを思い出したくて思い出せそうな「ウズウズ」なんじゃないのかな。