はっぴいえんどから思う

年末に大瀧詠一さんが亡くなられたというニュースは、とてもショックなものでした。

しばらく聴いてなかったけど…
とは思うものの、正月に帰った時に
はっぴいえんどのアルバムを持って帰ってきました。

で、堪能中。

1人暮らしだとずーっとTVつけっぱなしにしがちなんだけど、消してみた。
フリーセルしながら聴いてみた。

どことなく、ビートルズみたいなとこがあるなぁと思う。
ビートルズの曲を一気に知った当時、
他の洋楽曲もう聴かなくてもいいやと思った。
はっぴいえんどの曲を聴いてると、どこか似た感傷が湧いてくる。
このギターの感じがとても好きで、
それはほかの曲と比べてどうとか、テクニックがどうとか、私にはよくわからないけど、
あ~好きだと思うこの感じ。
これでもういいじゃないかと思う。
もう、これ以上新しい人の新しい曲を追求しなくてもよいじゃないかと、
狭い枠内で楽しめたらどんなに満たされるかなと思ったりしました。

バーゲンであれもこれも欲しいとか、
そのために遠回りして、かかとのひび割れが悪化して、腕もちぎれそうになってヒーヒー言いながら帰ってきたりとか、最近のそんな自分に対しての反省も少しある。

クローゼットの山盛り具合をなんとかしようと、収納ケースを買って畳んで入れて、吊るしてあるハンガーを大幅に外したのに、それでもぎゅうぎゅうなクローゼットの不思議さとか、そんでまたバーゲンでいろいろ買うからさらにぎゅうぎゅうにしたりとか、試着室では似合うと思って買ったのに、会社のトイレに映った自分見て「いくつだよ」と愕然としたりとか。

今日は新宿のとあるカフェで一人ランチをしていた。
私のあとに来たお客さんを、お店の人が案内している。
「通り側の席と奥の席とどっちがいいですか?」
テラスハウス風女子2人は迷わず通り側へ。
そういう潔さが欲しくてあれこれ満たそうとするのかな、自分。

買ってしまう服はテラスハウスとは程遠く、
しかも最近買ったジャンパーは「山でも行くの?」と言われそうな、リュックしょってないのにしょってる風に見える細工が入ってるもので、心はもう都会から離れたがっているのだろうか。

自分が似合う服を着ると、
なんか「アガる」から買い物してしまうんだというのは言い訳かな。
ちょとトガった服を着て職場に行って
誰にもなんにも言われなかった時のざわざわは、
もう完全に人の目を意識している。

女子のそのあたりの本音って永遠にわからないのかもしれないと思う。
男に見せるためじゃないよ、というのはそれはある気もする。
かといって、女子に見てもらうためだよ、が本音としたらどういうことかな。

自分らしさの表現
とかかな。
「私はこういう種類の人間です」
これなら少しわかる。

今、街にあふれているのはクドカン風アウトドア系男子と、
テラスハウス風アパレル系女子。
ちょっと前は森山未來くん風・長澤まさみちゃん系モテキ若人が巷にたくさんいましたね。

私も、何かの種類に属せるのだとしたら、
簡単に分類されちゃうわかりやすさはあるのだと思う。
ざっくり人みたいな。

今日発売のTVブロスで岡村ちゃんは
Facebookって、自分のリア充をアピールする場になってるっぽいから、それを見て「自分はリア充とは程遠い…」と落ち込む人が多いのでは?というようなことを言ってたけど、まさにもう今は何をしていても、周りのリア充的な波動をビシバシ感じてしまう今日この頃。

はっぴいえんどを聴いてると、
この方たちも当時は何をしてもかっこよくおしゃれに見えてた方たちだったのだろうなと想像できる。
でも、リア充なのかというとちょっと違う気もする。

 

歌詞を見ると、

♪~除夜の鐘が寂しすぎ
耳を押えてました…

とか・・

♪~家さえ飛び出なければ今頃皆揃って
お目出度うが言えたのに…

とか・・

暗っ!

しかも一家団欒に思いを馳せてるなんて、
こんな歌詞ほかにあるでしょうかね。
「春よ来い」
作詞は松本隆さん作曲は大瀧詠一さんです。

♪~きみを燃やしてしまうかもしれません…

丁寧っ!

上品な大人の熱さが浮かぶけど、
でも青白い顔した文化部青年からの告白にも思える。

「抱きしめたい」
作詞作曲は同上です。

なんかここのところ、もう戻ってこない何かに思いを馳せることが多い。

携帯電話がない時代にはもう戻れないから、ドラマでも映画でも「ない設定」で描くことのできない不自由さを感じる。
そんで盛ってることのアピールばかりが目に付いて。
メイク盛り、アイテム盛り、モテ盛り、イケ盛り、笑い盛り…。

今日は「5時夢」に出てた蛭子能収さんにすごく「いいなぁ~」と感じ入ってしまった。
もし「平成リア充チェックリスト」なるものがあったなら
蛭子さんはほとんどチェックされないのかもしれないのだけど、
いやいや、蛭子さんからは
今あるもので足りてます、みたいな
これぞリア充(昭和)というどっしりしたものが感じられました。

結果、昭和のおじさんは、
アピールしなくてもかっこいいとこいっぱい持ってんだなと思ったという話でした。
もちろんおばさんも然り。

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