藤吉は樹海の中で

根本敬「樹海」を見に、飯田橋のミヅマアートギャラリーへ。
鉄工島フェスでお披露目すべく、5月から制作に取りかかられていた根本さん。
そのお披露目会にも行ってきましたが、飯田橋では会田誠さんとのトークイベントがあるということで、少しの不安を抱えながら赴きました。

なぜ「不安」なのかというと。

美術のこと全然わからない私。
何をどう見てどう感じればいいかというところのプレッシャーがいつもある。
全身で「美術してます」という人たちと、相当距離があるわたし。
創作してる人・創作していないわたし。

「ここにいていいのだろうか」という不安な気持ちは、作品から受けるパワーとで結局相殺されてもまだ、少しだけ落ち込むことも多くて好きになれない美術界隈。

しかしお2人の・特に根本さんのトークは面白かった!笑った!
根本さんからトーク引き出した会田誠さんの、「なんか引き出しちゃった」「なんのこっちゃ?」って顔が絶妙だった。

会田さんが言ってらしたのは、「自分ですらも」作品の価値をトークでもっとアップさせようという気持ちが働くのに、根本さんは逆に価値を下げるようなことばかりおっしゃると。
それは褒め言葉なのだと私は受け取った。

本当に根本さんは、会田さんに「樹海」のコンセプトなどの質問を受けても「なんのこっちゃ」って返しばかりで…。

「樹海行ったら首吊り死体本当に発見しちゃって」
「死体見たら、なんかハイになっちゃうっていうか…」
「やすらぎの郷見てからの6時間(1日の制作時間)」
「石坂浩二が若い女の子からのハートマーク付きメールに浮き足立ってんだ」
「(制作に疲れて)ついに俺にも帯状疱疹が!と思ったら、パンツのゴム跡」

ただ、会田さんが「愚問ですが…」と断りを入れたうえでの質問。
「この絵についてのメッセージ」について。

「俺は漫画家だから、見た人をおもしろくさせたい」

グッときた。
そう、おもしろいこと感じられそうだから赴いた。

 

根本敬さんの「生きる」という漫画の主人公、村田藤吉のこと。

漫画全部読んだわけではないけども、村田藤吉がどういう男なのかちょっとは感じられる。
「社会の一員」としてなぜか認識されてなくて、会合にも呼ばれなくて、いわば疎外されている。
人ごみの中にいてもいつも押し出されてしまうような小心な男・藤吉。

トークイベントのあと、「よかったら根本さんといろいろお話ししてください〜」と主催者は言ってくれたけど、すぐ囲まれる根本さん。
そのとき私は、藤吉の着ぐるみの中から社会を見てる心地。

私も近くに行って、何かお話ししたいけど・・・
しゃべることなんて何も浮かばない。
絵の感想も、とんちんかんなこと言いやしないかと思うと怖くて口を開けない。
後ろに、どんどん後ろに下がるしかない。

私こそ紛れもなく村田藤吉で、だからこそ根本さんの描くもの・綴るものに惹かれるわけだし、何より根本さんの描くワールドの主人公的でありたいはずなんだ、私は。
だとしたら、やはり羨ましがる側であることは宿命であり、「かけ離れてる」という距離感も”自分らしい”んじゃないのかな。
そこになぜだか涙にじみそうで。
でも私が村田藤吉でなくなってしまったら、物語は終わりを迎える気がするのだから。

それでも根本さんが1人になったらば、思い切って私が感じたことを伝えてみようかなと思ったんだけど、結局それはできず。
大勢に囲まれる根本さんを背に、画廊を後にした。
あぁ、今なんて藤吉的。
薄暗いお堀の脇を、せめて「トボトボ」ってムード出して歩いてみようか。
トイレも行きたい。下腹部が突っ張る。それも込みで、藤吉的じゃないか。

 

人ごみかき分けて私の横をすり抜けてきた根本さんと、手の甲が少し触れ合った時、なんかちょっと甘い気持ち。
クリスマスの出来事に、しちゃおうか。

 

↓↓↓ ほとんど精子で埋め尽くされているのに、ここだけ黒の余白。
「宇宙みたいですね」って本当は話しかけたかった。

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