大谷選手の結婚報道。
それなりにブルーになるものですね。
それでブログを書く気になれなかった。
というのは半分冗談で半分本当。
連日の大谷フィーバーは正直つらい。
大谷選手は悪くないのに、目に入れたくないと思うのもつらい。
メディアのしつこさにただただ腹が立つ。
しつこさというのは、人の嫌悪感を刺激するんだと思う。
TVを見て「もうやめてほしい」と思うとき。
自分の望まない何かで自分が満タンになっていくことに危機を覚える。
「ここ欲しい情報でしょ?」「ここ笑うとこです」というコントロールから逃げたくなる。
私は昔よく怒っていて、人によってすごく横柄な態度になることがあった。
年を取ってからそんな自分を大人の力で閉じ込めてきたけど、「距離が近い」という状況への限界サインだったように思う。
コロナ前って距離が近いことが「善きもの」とされてましたよね。
職場の同僚と腹を割って話すことだったり、家族で定期的に集まること。
頻繁に会うことが友達の証しみたいな。
そういう時期があるから今の人間関係が築けてるともいえるけど、オープンであることに疲れ果てることもあった。
突然怒り出したり横柄になる自分をよく反省してたけど、コロナ禍以降怒ることは激減しましたね。
快適な距離感が取り戻されたからと思う。
生まれて初めて自分らしい距離感を知ったような。
人間関係の問題って、ほとんど距離の問題じゃないでしょうか。
人を嫌いと思うときを振り返ると、相手と近い関係になりすぎてたり、大して親しくないのに胸の内をすごくさらされたとき(人の悪口や重い話の繰り返し)かなと。
ただ、その人と適正な距離が取れると、嫌いという感情も薄まったりするんですよね。
また普通におしゃべりしてたりする。
元彼から連絡来たりするのも、相手の嫌悪感も薄まったからじゃないかな。
距離が近いって、結構怖いです。
何か魂胆があるから距離を詰めたいと思う。
その距離を詰めたい側の思惑に飲み込まれそうな危機感を感じてるのかもしれません。
a・自分に好意を向けてほしいという見返り
b・自分の思い通りになってほしいというコントロール
これらは自分にも心当たりがあることです。
思い切り魂胆があった。
それでも若いうちは叶ったりしたのです。
でも当初、aだけで満足できたのに、やがてbに移行する。
bの段階になると早々に嫌われます。
嫌われるというか、露骨に距離を取られる。
そこで私も適正距離に気づけりゃいいんだけど、自分の状態が悪いときはただただ距離の近さを渇望してしまう。
依存状態から抜け出せない。
この依存段階ではどんな望みも叶わない。
いや、赤ちゃんのように泣きわめいたら、相手は根負けしてそばにいてくれるのかもしれない。
近しい仲だったら、たまには「よしよし」なんてこともあるのかも。
でも依存タイプは何度も同じ手を使う。
それが嫌だから距離を取るようになる。
距離を取れない人は共依存状態になりやすいかもしれません。
自分も過去、とある人の状況が良くなることに頑張りすぎてたことがありました。
1年ほど頑張って、最終的には徒労感しかなかった。
自分がどんなに頑張っても相手のためになってる感覚がない。
でも頼ってくる。
相手の状況を改善できない自分を責める。
ぎりぎりの状況でした。
自分のことは自分でしか解決できない。
頭ではわかってるけど、相手を突き放すことはとても怖かった。
色々覚悟をして距離取って、結果、相手は自力で改善に向かったから本当よかったです。
「いや、ちょっと…」と相手から露骨に距離取られると一瞬ショックを受けるけど、それはただの黄色信号と思う。
それ以上突き進んで相手に赤信号出されたら、嫌いは確定するんだろうけど、それだって時が経てば黄色に戻るのでは。
ただ恐怖感が生まれると関係修復は難しくなる。
恐怖が募る距離感ってありますよね。
街の変質者で怖い思いしたのも距離近案件だったし。
距離の問題で危ないのは、突き放された側に恨みの感情が生まれたとき。
「自分を一番にしてくれなかった」「あんなに思わせぶりだったのに!」と、親密さの期待を「裏切られた」と感じると、態度が急変することがあるかもしれません。
自分は距離を詰めたいのに好きな人がうんと距離を取りたい人だと切なくなる。
それでも友好関係を保てる距離で関係を続けていくか。
自分の望む距離で縮められないのなら関係を断つか。
快適な距離はみんなそれぞれで、「この距離なら仲良くいられる」というバランスを無意識に探りつつ、みんな関係を保ってるんでしょうね。
とはいえ誰しもが寂しさを抱えてるんだとも思う。
距離感ぴったり!なんてことはあるんだかないんだか。