昨日はNHKドラマで2回も泣いてしまった。
1つは火曜22時「東京サラダボウル」の録画。
第5回「ティエンと進」
このタイトルを見ただけで今もじーんとくる。
終盤で奈緒さん演じる鴻田がひとり泣いてたけど、「だよね〜(泣くよね〜)」と思った。
実際の鴻田の涙には違う理由があるのかもしれないけど、「ティエンと進」、2人の友情や運命を思ったらどうしようもなく泣けてきたんじゃないか。
あの終盤、たまらなかったですよね!(見た人に呼びかける)
もう1つは夜ドラの「バニラな毎日」
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(写真は「バニラな毎日」HPより)
正直、このドラマはほとんど見てなかった。
最近、22時半には布団に入っちゃうんですよね。
昨日もそろそろ寝ようかと思ったらドラマが始まって、すぐ目が離せなくなった。
伊藤修子さんがメインの回ということが気になったし、なんたってこのお衣装。
なぜ迷彩服…
全然見てないのでなぜ迷彩服かもわかってないのですが、どうやら伊藤修子さん演じる優美は「人を殺したことがある」という。
それがどうやら母親らしく。
しかも何年もひきこもりだったという優美。
この優美が、永作さんと蓮佛さんの営む菓子教室でモンブランを作る途中で母親のことをぽつりぽつりと語る。
それが泣けて・・・
「殺した」というのは、大きすぎる罪悪感ゆえの思い込みみたいなこと。
ひきこもりの自分を外に連れ出してくれたのは母。
2人で食べたケーキがとてもおいしくて、またおいしいものを求めるうちに外に出るようになる優美。
そのうち集まるような仲間ができて1人でも外出できるようになり、心配する母親を疎ましく思う。
その罪悪感たるや・・
ひきこもりの自分を外に連れ出してくれたのは母なのに。
どれだけ母親が自分を受け入れて愛してくれたか。
でも仲間といたい。母親が疎ましい。
生まれて初めて仲間と「オール」をした日。
母親からの着信を無視し続けた。
帰宅すると母は死んでいた。
自分に助けを求める着信だったのかもしれないのに。
苦しい、助けてと。
それを見殺しにした(と思ってる優美)
伊藤修子さんの演技にとても胸を打たれた。
その演技も、いつもの伊藤さんの特徴的な高い声じゃないし、どこか棒読みっぽい単調さ。
なのにすごい悲しくなってしまった。
すごいものを見たなぁとも思って。
「母と自分と罪悪感」というワードに感受性が敏感になってるのはありますね。
でも多くの女性が母親に対してなんらかの強い罪悪感を抱いてるんじゃないのかな。
私の友達にも、母親との結びつきがとても強いように感じる人がいる。
こんなに育ててもらって、愛してもらって。
母親から飛び立つことは健全な自立であるはずなのに、いつも後ろ髪を引かれるような思いがある。
そばにいたい。愛し抜きたい。遠ざけたい。
うっかり1句になっちゃったけど、有り余るほどの愛を受け取っておきながら遠ざけたくなるような思いを抱く自分を罰する気持ちになる苦しさって、ありますよね。
少し前までTVerで「すいか」が視聴できましたが、あれも小林聡美さんが過保護な親・白石加代子さんから逃げるように実家を出て、ともさかりえ・市川実日子・浅丘ルリ子の住む物件で生活を始める。
私は3話までしか見れませんでしたが(配信終了)、あの母娘の「離れたいけど結果くっつく」みたいな磁力が印象的でしたよね。すごくユーモラスに描かれてはいるんだけど。
最近やたら読んでる河合隼雄先生の本にも、母親の「飲み込もうとする愛」の病理性というか恐ろしさ、弊害みたいなことがよく書かれてますね。
私のかつての上司にすごく気が利く女性がいたのですが、最初は私も「この人みたいになりたい」という憧れを抱いてたのに、だんだん「近くにいると死ぬ」というくらいの苦しさを抱くようになって。
今思うとその人の気の利かせ方というのはまるで母性で、「なんでも先回りしてやってあげる」というのを、「善かれ」と思ってやってんですよね。
そしてその人の周りの人がどんどん思考停止していって、その女性がいないと何にも判断できなくなる。
その人が登場するだけで「待ってました!」と崇める雰囲気になってしまって、私はじきに部署異動を願い出てその人のそばから離れた。
私があのとき「死ぬ」と感じたのは、「飲み込まれそう」という感覚・危機感だったんだと、今わかる。
その人から発せられるものは支配とか男性的なものではなく、「愛情」という女性的で母性的なものというのも感じてた。
だからこそ「善かれ」も流れ込んできて、それを拒否したい気持ちの罪悪感も半端ない。
母性って善きものと大体思われてるけど、「そうかなぁ…」と思ってもいいと感じられたのは最近ですよね。
「愛」とかいって飲み込もうとするエネルギーは人の個性や思考をつぶしかねない。
そして愛に見えるものは大体その人の不安だったりする。
こちらに向かってくるその人の不安は愛なんかじゃないと、感じてるのにそう決める自分に罪悪感を抱く。
向けられた不安でこっちの角を折られる不快さもこみあげるってなもんです。不安はほぼ呪いじゃないのか。
NHKのドラマの話からだいぶ逸れましたが、いや、NHKのドラマってめちゃえぐってくるものが増えたなぁ〜という感心に戻る。
メッセージ性もより明確になったというか。
「東京サラダボウル」の「ティエンと進」の回でも、日本で働く外国人労働者への視点の方向性を明確にした。
1つ前の「宙わたる教室」もすごかったですよね。
少し前の「燕は戻ってこない」も。
弱者をはっきり描き出す。
一方的に下に置かれて、搾取される人の物語をこれでもかと生み出して。
そんで、中村蒼さんどんだけNHK出てんだと。
「べらぼう」にも出てますね。
なんたって松田龍平さんですよ。
今までで一番ぴったりの役なんじゃないかと思う。
超無表情の中国語通訳者がハマりすぎてクラクラしますね!
奈緒さんも人柄が滲み出てるように感じる。
また東京サラダボウルのことについて書くかもしれません。