映画「国宝」

「国宝」見てきました。

(写真は映画.comより)

最近、Xのタイムラインにものすごく感想が上がってきてて。
「べらぼう」関連をフォローしてるからか、横浜流星情報が特にピックアップされる。
その感想だけでおなかいっぱい、見に行くことはないかな〜と思ってたんだけど。

この間のEテレ「スイッチ」が吉沢亮×中村鴈治郎。
そしたらエピソード2だったんですね。
吉沢さんはエピソード1で特集されたらしい。再放送も見逃し。
少しだけ映った「国宝」のシーンがあまりにも美しかったので、見に行ってきたというわけで。
朝9時半の回なのに席埋まってました。

あまりネタバレしないよう注意しつつ、以下について書きます。
・吉沢亮について
・横浜流星について
・田中泯について
・その他雑感

・吉沢亮について

吉沢さんという人は、「いわゆる普通の」というドラマに当てはまりにくいんだと思う。
たぶん、その魅力が枠に収まりきらない。
物語が吉沢さんの存在に追いつかない。
追いつくような物語が当てられてない。なかった。
だけどこの「国宝」
吉沢さんの才能・魅力・美しさが存分に発揮されていた。と感じた。
それがとにかく嬉しかったです。
まぁ〜美しかったですよ。
美しい人を見る楽しさって何なのでしょうね。

また、吉沢さんは孤独が似合う。
どうしてあんなに悲しい目をするのだろう。
私が初めて吉沢さんを見たのはドラマ版「レ・ミゼラブル」(2019年)
ディーン・フジオカさんの青年期役。
収監されていたという孤独な役で、演技がすでに完成してた記憶。
朝ドラ「なつぞら」でも早逝してしまう儚げな役でしたね。

そういえば吉沢さんのラブシーンって見たことないと思った。
「もっと見たいな」とか思っちゃって。
ただ、吉沢さん演じる喜久雄が、相手にどのくらい愛着があるかはわからなかった。
「わからない」という演技をしてたんだと思う。
喜久雄の心は誰もわからない。
「愛」ということもつくづく考えましたね。
ChatGPTは「性行為は窓のようなもの」と表現した。
何の相談したんだって話ですが、性行為をすると相手の内側が時に窓に映り込む、ということらしい。
愛情が映し出されたり、そうでもなさ度がわかってしまったり。
私は喜久雄と女性との関係を見て、そもそもこの世界は愛を過信しすぎてんじゃないかと思った。
とりわけ性行為の中に真実があるように思い、そこから生まれた命に意味を持たせる。
私は喜久雄を「なんて孤独な人だ…」とずっと見てたけど、天涯孤独ってわけじゃないんですよね。
喜久雄は何に愛を感じてたか、それはとても儚いものだった気がする。
「スイッチ」で鴈治郎さんは、「映画は記録として残るけど、歌舞伎はほとんど残らない」と言っていた。
歌舞伎は一瞬一瞬の芸に全力の魅力があり、「それを観に行った。観た」という感動は確かに他の芸術より抜きん出てるように感じる。
吉沢さんは「何も信じてない人」の目をしていた。
だからこそ芸の上達に邁進する。それが報われたり報われなかったり。
「孤独」の予感をいつもたたえたあの目がすごかったです。
目的を果たすために「歯牙にかけようか」と能動性を見せる喜久雄。
吉沢さんの目は「何か」を宿らせた時にすごく光るのです。

・横浜流星について

Xでは「吉沢亮がすごいのはもちろんだけど、横浜流星あってこそ」「私は俊坊派」という書き込みをよく目にしました。
「べらぼう」関連で目につきやすかったのかも。
私は吉沢さんにやっぱり掴まれたんだけども、流星さん演じたお初はちょっと言葉にならない凄みを感じましたね。

この物語のメインの時代は1980年代で、服装がそのころっぽいんですよね。
流星さんがチェックのシャツ着ると、いかにも80年・90年初期の準主役で、そうだ、流星さんってそもそもこういうタイプだったじゃないかと、なんかすんごい懐かしくなって。
演技確かで顔も綺麗なんだけど、準主役として脇にいる人。「ヤヌスの鏡」とか大映ドラマで、ハンサムなのに平凡なクラスメート、流星さんはそんな雰囲気だったですね(個人の感想です)
でもなんか、それが嬉しいというか。
たぶんだけど、主役を凌がないような配慮がされてたんじゃないか。
流星さん演じた俊介がなんかダサかったんですよね。
いっときやさぐれてたのに、かわいいカーディガン着てたりとか、なんかぶかぶかのスーツとか。
たぶん、そうまでしてモッタリさせないと、流星さんも相当キラキラしてるから。
血筋のいいお坊ちゃん役ですもんね。
不思議なんだけど、「血」の確かさを感じたんですよ。
それはカメラワークなのか、演技なのか、ストーリーの妙なのか。
「べらぼう」見てても思うけど、流星さんは人を油断させますね。
本人あんなかっちりしてそうなのに、演技の柔軟性がすごい。

・田中泯について

人間国宝じゃない人が人間国宝を演じる、そういうふうに撮るってことの凄さが今も押し寄せてきます。
田中泯さん演じた小野川万菊は人間国宝。
歌舞伎の裏側って中村屋ファミリーとかの特番でたまに見るけど、若い子が挨拶に来て彼らを意味ありげに見つめるとか、そこまでの裏側って見れない世界で。
この映画の楽しさはそういう裏が見れることでもあるけど、田中泯さんのあの声とか動き方、表情などすべてが超リアルと感じた。
わかんないけど「いるいる!」と思った。
それで歌舞伎の何がすごいって、老人に近い男性が女形としてしなやかに踊ったりするところで、当然顔には皺が刻まれたり、人によっては大柄だったりするんだけど、芸がすべてを凌駕するんですよね。
明らかに老人でも「美」がそこにあることにただただ感動する、歌舞伎はそういう場所で、私も勘三郎さんや七之助さんなど中村屋の歌舞伎を何度か見に行ったけど、あの息を呑むような表現を田中泯さんが再現してるという。
よくぞ田中泯さんをキャスティングしてくれたと思う。あそこだけ本当の人間国宝や歌舞伎役者だってよかったはずなのに。

・その他雑感

渡辺謙さんももちろんグッと来ました。
寺島しのぶ、永瀬正敏、宮澤エマ、あと青年期の2人!
黒川想矢くんはすごい役者にこれからなっていくんでしょうね。
映画「怪物」の子ですね。
杉村太蔵が出てるのかな?と思ったら三浦貴大さんでした。

女性陣は見上愛、高畑充希、森七菜。
女の蚊帳の外感!!
わざとそう描いてるのか、そうとしか感じる余地のない物語なのか。
高畑さんは吉沢さんが帰ったあと泣いていたけど、ちょっとわかると思ってしまった。
幸せな時間を過ごしたはずなのに、なぜか泣けてくるようなこと。
たぶん心が響かないから。
相手の気持ちが届いてこない。
自分の気持ちが届いてない。
心はそういうことをよく知っている。
いっそ俊介の母・寺島さんのように、「息子を一流に育て上げる」という目的が持てれば幸福の度合いも強まるのだろうか。相当大変だろうけど。
あの世界では「女として幸福を感じる」なんてことは捨て去らなきゃいけないんじゃないか?とか思ってしまった。「母としての幸福」それしかない世界に見えて。
だから外部の喜久雄を家に迎え入れるとなったとき、寺島さんの顔に「嫌な予感」がよぎったのは怖かった。
そういう不安はどこかで暴発して、相手にぶつけることになる。

喜久雄の人生の波。その体感は悲しさの連続。
吉沢さんの目がいい意味でトラウマになりそう。いい意味で…
私の隣におじさんが座ってて、奥さんと一緒に来てたっぽい65歳ぐらいかなというところ。
ラブシーンでおじさんが急に私のほうを見た。なんでだよ!
吐血シーンで「あっ!」と声を上げたり、「せりあがるのか」とか。
最後の方ですんごいソワソワしだして、長いから飽きちゃったのかもだけど、喜久雄のあでやかさに変な気持ちになったんじゃないでしょうね。
奥さんに「シッ!」とかやってほしかった。
涙をすぐ拭きたかったけどおじさんに見られたら嫌なので結構流しっぱなしにした。

喜久雄に自分を重ねたいかも…と思うところはあった。
結局つながりなんだな…と寂しくなるところ。
つながりのある人は強い。なんだかんだつながりを選ぶ。
目の前の人がどれだけ孤独でも、「じゃあね」と所属先に戻っていくんだ。
そこに愛があろうとなかろうと、つながりこそが自分を守ってくれる場所とみんな知っている。
と、途中まで思ったけど、喜久雄にもつながりあるじゃんと思った。
でも喜久雄の心が選ばなかった。満たされなかったのだろう。
じゃあ何が喜久雄を満たしたのか。どうであれば報われるのか。
・・一緒に考えようとしちゃダメだね!疲れるから。
あと映画館という場所は、自分にとって刺激が強すぎてちょっとつらかった。
そんな愚痴もいずれ綴りたい。

過去の吉沢さん記事も再掲しときます。



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