昨今モテるタイプといえば、「普通」がにじみ出てる人じゃないかな。
誰もが普通を求めてる。
婚活行けば「普通であればそれでいい」
紹介話とくれば「すごく普通でいい人だから」
しかし本当に「普通の人」なんているのかな。
私は自分の中の異常性に自覚がありで。
思い込みの激しさとか怒りっぽさとかマイナー志向とか、どうして周りはこのあたりサラッとしてるのだろうと、「普通ライン」からはみ出た自分を呪うこともしばしば。
占いに関わってることだって、ある意味普通じゃない・異常なことなのかもしれません。
だからこそ、ブログなど表現することで、自分の異常性を「普通からはみ出してもいいよ」って自分で許したかった。
ブログ書いてるってことも、自称普通の人からすれば「ばかみたいでありえない」でしょうからね。
しかし「普通の人」、いるんかな~。
私が日頃思うのは、「見せたい自分!」が強くある人は、本当は真逆の性質を秘めているのじゃないかということ。
「いい人」に見せたい人は、いい人じゃない面を自覚してるから過剰に繕う。
「強く・怖く」見せたい人は、弱さのプロテクト。
「みんなバカばっかり」っていう態度の人は、自分がそうだと自覚してるから先に上に立つ。
じゃあやっぱり「普通」すぎるように見える人こそ、自分の中の異常性を自覚してるんじゃないのかな。
本当はみんなそれなりに異常なんだと思いたい。
そもそも「普通」が何であるかって、半世紀前くらいはきっとよくわかってなかった。
でもネットもこんなに普及して、芸能人の私生活だって暴かれてしまう昨今。
住宅メーカーのCMみたいに年をとっていくコースじゃなきゃ異常だと指さされそうで、みんなそんなことに実は怯えてる?
ホロスコープで大体「異常」っていうと、すぐ浮かぶのは海王星ですかね。
海王星がパーソナル天体とコンジャンクションとかスクエアだと、「普通」に明らかに射し込む異常光線が見出せたりする。
それは表現者とかアーティストだったら「天才」って呼ばれる輝きかもしれないけど、一般人だと本人すっごく普通なのに、人の何かを過剰に背負っていたり被っていたり、自身の調子が常に悪かったり、性生活の異常さとして表れたり…となりがちかもしれません。
芸能界だと薬物やお酒で問題起こす方は海王星利いてる方が多いです。
なんかもう本当、溺れちゃうのでしょうかね…。
海王星が利いてる人は、表現活動である程度影響分散できるのかな。
底抜けに優しい人も海王星アスペクトの人たちだけど、「優しさ」なんてもんじゃ消化できないほどの超常パワーが、一見ふわふわした海王星にはあると思うのです。
天王星も異常性と大いに関係ありそうですが、「人と違うことをしたがる」「普通に染まりたくない」という、「自分シェルター」に能動的に入っていく感じ。
しかし「自分シェルター」こそが自分基準で「普通」と思っているフシもあります。
そして「普通」の自覚が強い人ほど、自分の孤高感に悩む人もいたりする。
「人と打ち解けられない」「女子のきゃいきゃいしたムードが苦手」と。
いわゆる「普通」が異常に見える自分こそが普通、という矛盾を抱えた人。
天王星は水瓶座の支配星だからか、距離があればあるほどうまくいって、近づくと壊したくなる。
「誰とも違う」ことを誇りに思える趣味とか場所があるといいのかもしれません。
あとPCの才能が備わってる方も多いので、特に水星ー天王星アスペクトある方はPCと異様に関わる仕事・趣味などよいのでしょうね。
すでに「そうだよ」って人、結構多数。
冥王星はその人の「人生傾向」に異常性をもたらすことが多そうです。
特に太陽や月と関わると、ご両親の人生傾向が激しくて、その影響とか支配がすごく及んでる方とか。
結婚が早い方だと、パートナーの運勢に振り回されやすいでしょうかね。
数ある凶悪事件の中で私が特に関心がある北九州監禁殺人事件(2002年)ですが、現在死刑囚の男が1人の女性を内縁の妻にして、女性に肉親の殺害や処理をさせて…というなんとも残虐な事件。
女性は男にマインドコントロールされていたとして、死刑は免れています。
その女性が太陽ー冥王星オポジション。
死刑囚の男のドラゴンテイルが女性の太陽に乗っているという特殊さはあるけれども、この男に会うまではごくごく普通に真面目に幼稚園教諭として働いていた女性の壮絶な人生は、「異常」という言葉では足りないほどの悲しさや恐ろしさが湧き起こります。
普通は乗り越えられないようなことを「やれちゃう」のも冥王星強烈アスペクトの方で、そのバイタリティーや「やるしかない」という覚悟は、ある意味異常さに映るものかもしれません。
あとやっぱ火星ですかね。
火星は激しいですから、激しいアスペクトを持っているなら発散方向で使ったほうがよいと思うのです。
暴力事件の報道などで「もしや…」とホロスコープをのぞくと、火星が強調されていたということもよくある。
火星もパーソナル天体同士のアスペクトくらいじゃそこまでの強烈さではないですが、木星とでも「怖い過剰さ」として出たりします。
先ほどの女性受刑者は火星木星コンジャンクションでテイルとコンジャンクション。
火星は出会う男性を表しますが、主犯格の男と出会う時限爆弾を抱えていたその運命は、どうにか回避できなかったのだろうかと…。
思ってもしょうがないことですが、人は何のために生まれて、何をそんなに経験したくて生まれてくるのだろうと、嘆きたくなるけどもやっぱり、「普通」に甘んじてちゃいけないんじゃないのかな。
「普通が一番、あたしなんて地味でよい…」
その思いが強ければ強いほど、すでに備わってる「もはや普通じゃない」運命を潜在的に意識してるんじゃないだろうかと。
さっきの「こうでありたい自分真逆説」からいくと。
殺人事件出したら怖くなってきちゃったけど、こういう方向に行きたかったわけじゃなく、ちょっと自分の異常性について考えていたもんだから。
自覚できるようでいて、結構自覚できないもんです。
「みんなだって異常性あるっしょ?」
ってとこに救いを見出そうとしたり、いや、でもやっぱり自分以外はみんな異常さに目もくれず、気に留めたりもせずに「普通でまとも」街道を立派に堂々と歩んでいくのだろうかと、そう思ったら怖くなることがたまにある。
「何をそんなに?」
それを人と確かめ合えることだったらいいけども、そうもできないことは割とあるもんです。
身体的な特徴の標準形がわからないのと同じような感じ。
家族のことだったり、誰かへ湧く思いだったり。
反省すればいいのか、自分を責めるべきかもわからない。
私の場合はこうやって、表現せざるを得ない愚かさでプラマイゼロにしようとしているのかもしれません。