中村勘三郎さんが亡くなられました。
本当に信じられません。
信じられない・・
今年、平成中村座へ2度、歌舞伎を観に行きました。
「身替座禅」と「傾城反魂香」
歌舞伎で声出して笑ったり涙流したりするとは思いませんでしたよ。
とっっても楽しかったし、とっても感動しました。
なんといっても勘三郎さんの目の演技にひきつけられたのです。
目を見開いたまましばらく動かなくてもふきだしちゃう。
ちろっと様子見の流し目には、うふって言っちゃうし。
目をぱちくりされたならもう大笑い!
もちろん所作にも魅了されました。
舞われる姿はとても色気にあふれていて、なぜだか切ない物悲しさも感じたのです。
「傾城反魂香」では仁左衛門さんとの夫婦役で、吃音の旦那をかいがいしくフォローする妻の役。
もうこれだけで色々想像できてクスッとなってしまいます。
さっきまでやかましくせわしなくしていた妻・おとくさんが、仁左衛門さんと手と手を取り合って涙を流すお姿は忘れることができません。
私はあのとき必死で涙をこらえたのですが、もうなんでまた、何に抵抗して抑えてたのか、自分が腹立たしくなります。
勘三郎さんたちはシンプルにユーモアと感動を伝えてくれていたのに。
飛んではねて舞って静止して。
そのどれもがチャーミングでユーモアたっぷりで。
お姿を見ればウキウキ・ワクワクさせられ、こんなにシンプルに人を笑わせられる人はそうはいらっしゃらないのではないでしょうか。
先ほど大竹しのぶさんが「彼に会った人は誰でも好きになる」とおっしゃってました。
私は2度しかお目にかかってないけど、本当もう大好き!
なんて愛らしい方なのだろうと、今でも舞台を思い出すとそのときの興奮がこみ上げます。
忌野清志郎さんが亡くなられたとき、もう会えないということに絶望しました。
ライブ行ってみたいな~と思ったときにすぐに行動すればよかった。
勘三郎さんが復帰されたときそのことを思い出し、行動できてよかったと本当に本当に思います。
でもつらすぎます。
観客にとって演者は、すぐそこにいるのに時に「ライン」をはっきりと意識させられとても遠く感じるものだけど、勘三郎さんはまるで観客に語りかけるかのように、「こっちいらっしゃいよ!さあさあ、ねっ!」とお近くに招かれたような親しみを感じさせてくれました。
愛らしい勘三郎さん。
この舞台の感想さえ、なぜすぐに書かなかったのかと後悔します。
お忙しい中にこのページを訪れるなんてことないとは思いますが、でも、亡くなってから書いたってしょうがないじゃないかというやるせなさもある。
こんなに楽しませてもらったんですよってどこかの誰かが表現してるという事実は、存命中だからこそ意味のあることのようにも思える。
でもせめて、自分自身がいろいろなことに流されてしまう前に、書きとめておくのです。