性別のこと・「ユニークライフ」より

「愛の不時着」と「ユニークライフ」をやっと最終話まで見ました。

最終話をすぐ見るのを避けてたのは、見終えた途端、その世界観がするっと自分から抜け落ちてしまうのをわかってたからかな。
愛不時についてあれこれ綴りたい!1人ずつ語りたい!と思ってたのは最終回直前まで。
見ちゃったらどうでもよくなってしまった。
確かに感動した!泣きました。あとで何か綴るかもしれません。

でも「ユニークライフ」は愛不時よりずっと泣けるというか、感動に打ち震える感じ。
特にシリーズ2、シリーズ3がすごい。
まぁ愛不時とはテーマが違いますけどね。
でもどちらも一人一人のキャラクターにすごい愛が感じられて、そこに泣けたのは共通です。

「ユニークライフ」は自閉症のサムが主役の物語だけど、「みんなユニークじゃんね…」と、両隣見渡してフフッとニヤッと笑い合ってるようなドラマ。私たちの前には確実に新しいテーマが広がってるな、とつくづく思いました。
性別や役割のこと、婚姻関係や友人・家族関係のこと。

ネタバレになりますが、シリーズ3でケイシーが本当は誰を愛しているか気づいてしまう。
彼氏のエヴァン以上に求めてしまったのは、女友達のイジー。
主人公のサムは、彼女・ペイジとやっと体の関係結べたけど、この喜びを親友・ザヒードに報告できなきゃ意味がないと深く落ち込む。
ザヒードから絶交を告げられたから。

でも友情を取り戻せた!
そのあとサムとザヒードが神父の前で向かい合って、この2人の結婚式?と思ったら「親友式」。
男性同士が友情を誓い合う。ケイシーとイジーが学校のみんないるところでキスをする。それはティーンネイジャーだからでしょ??とわざわざ区切ることもない現代。
でも区切って自分とは違う世界に置こうとしたとして、「なぜ背を向ける?」と、むしろその心に焦点が当たるこれからかも、と感じました。

これまで生きてきて、どこまでが自分の本能に刻まれたことで、どこから後天的なものかって誰がどのくらいわかるんでしょうね。
今だと「家事は女がやるべき」ということすら「そぉ?なんで?」って言える世の中になってきたけど、昨日の土曜スタジオパーク。
有村架純さんの友人として山田裕貴さんがコメント出演。
有村さんは食事を自然に取り分けてくれて、いいお嫁さんになりそうとのこと。

目くじら立てるわけじゃないけど、モヤモヤがどうも後を引いた。
たぶん山田さんだって「やんなくていいよ」と思ってるだろうし、有村さんも「やること苦じゃないよ」っていう方と思う。
もし山田さんが、「各々自分でさ!」と呼びかけてたとして、私なんかは「うん、各々でね」とほっとするけれど、実際は誰も各々箸を取らないんだろうな。
そんで有村さんが最初に箸を取ったぞ!と思ったら、「はい、どうぞ」と私にまで取り分けてくれ…嬉しい自分と猛烈に焦る自分。

そんで、山田さんに「いいお嫁さんになるよ」と評価されるなら、やっぱり女子は取り分け人間やるじゃんねと過呼吸になりそうになる。…ってのは大げさだけど、これらの一体何が息苦しいんだろ、やっぱ「いいお嫁さん」のとこ?
ヒョンビンはユン・セリに取り分けそうなタイプ、確かに夫にしたいです。
でもそういう男性、そうはいないし、ユン・セリだから取り分けるんだよなぁという諦めといつもセット。

いや、ユニークライフでも母親のエルサが掃除も食事もベッドメイキングも進んでこなしてたから、母親というのはやっぱそういうものなのか。
とは思うものの、アメリカの食事は冷凍パイやグラノーラが多そうで、ポテサラ論争が巻き起こる日本とはちょっと違う気もします。

私が男性を好きなのは、そう教育されてきたからという気もするし、気づいたときには誰かの嫁になる方へと目が向いてた。
高校までは将来のことなど考えず人を好きになってた気がしてたのに、小学生の頃から「選ばれたい」という思いが「好き」につながってたかもとちょっと思い出した。なんか将来性を見極めようとしてた記憶がふとよみがえったんですよね。
忘れ物多すぎるだらしない男子に母性くすぐられる…とかは私の場合なかったし、いつも寂しげな目をしてる男子に惹かれそうになったときは猛烈なブレーキが働いた。

そんな中で意外と変わらなかったのが、新しい人間関係の中で「仲良くなりたい!」と思った女性への恋心のような気持ち。
絶対しゃべりたい、あんなことを打ち明けてみたい、一緒にお茶したい!
ここには将来性などの見極めはなく、だけど「私が一番の友達になれたらいいな」という願いは時々抱く。
女友達でも大抵「一番」というのは叶わなくて、確固たる大親友の椅子は埋まっていたり。の、はずなのに、私にだけ打ち明けたんだと言われたときの喜びの舞。
これは恋ですかね。わかりません。
ただ、「あまちゃん」でアキが初めてユイちゃんに会ったとき、周りから「誰かに恋してんべ?」と思われるほどぽーっとなってたアキだった。
クドカンすごいな!こんな乙女心までわかるとは。

ただ性愛については未知です。
理性やこれまでの生き方によって衝動がコントロールされてるのかもしれないし、でも私がケイシーだったらどんな気持ちが湧くかわからない。
男性が好きとずっと思っていたのも、ある程度「選ばれた」という優越が働いて、つまるところ「選ばれた自分が好き」だったのかもしれない。

私は将来、誰かパートナーと暮らしたりするのか、それは男性なのか女性なのか案外わからないなと思います。1人という線も濃厚だけど。
男性とパートナーになったら、どうしても「頑張る」がつきまとう気がするんですよね。
女性として頑張る。
もし家事などがある程度分担だとしても本当に「ある程度」だろうし、やっぱどうしても女性として頑張るんだと思う。
そしてそれに疲れてやがて怒ることばかり想像される。
サムとケイシーの母・エルサもダグと理想的な夫婦だったのに、自身が過ちを犯してからはマイナスをプラスになんとか盛り返す頑張りがずっと続いて、その頑張りがプツッと切れたりとか、見ててつらかったです。
妻として母として頑張る。セクシャル面でも頑張って、それでも拒否され続けて…

女性だと「1人と1人」としていられるように思うけど、異性愛はなんで関係を結んだ途端に「自分のもの」みたいな好き放題まかり通る面積が広いんでしょうね。
同性とはいつまでもルームメイト気分でいられそうと思うのは幻想かな。
1対1の関係はどんなでも所有欲が湧くだろうか。

ただ女性も濃い関係になったときの破綻はキツい。
中学2年のときに塾で知り合った他校の子と急速に仲を深め、一緒の高校を目指そうと盛り上がってたころまでは恋のような親友関係だった。
彼女が成績落ちてきたころ、なぜか無理めな私立女子高に志望を変え、結果的に私立には落ちて滑り止めの公立女子へ。
「髪をいつかピンクにしたい」とは前から言ってたけど、そんなことできるわけない真面目っ子と思ってたのに、初めて私服で遊んだときに頭に巨大なリボンをつけてきた。
「高校に入ったら絶対ピンクにするんだ」「口紅は真っ黒を塗る」、奇抜なことを口にしただけで奇抜人間になれると思ってる彼女の覚悟をリボンに感じた私は恐れていた。このころからすれ違ってしまったんだな。
「うそつきだな」と感じることが増えたから。

無理めな女子高を目指した頃から「言ったもん勝ち」みたいな性格が目立ち始め、相手を無難な型にはめようとする私の性格も浮き彫りになった。
また、奇抜なことばかり口にする彼女の心境を推し量ることもできなかったなんてね。
いつ死んだっていいと言っていた彼女は本をたくさん読んでいて、いろんな作家の影響かもしれなかった。
本当は勉強が好きだった彼女。
成績が落ちて、強がってたところもあったんだと思う。
ピンクの頭願望に嫌悪感を感じるなんて、世界が狭いだけの私。このパターンわりとあるかも…

結果、彼女は高校で堕落した橋本愛みたいになりました。
「堕落した」というのは私の決めつけ。今だったらめちゃかっこいい女子高生に思えてたかも。
真面目っ子からはみ出せなかったのは私。すれ違ってももう言葉を交わさなかった。

でもこれから誰とどんな関係を結んでいくかって案外わからないです。
ただ、ユニークライフを見て感じて、これまでより心をずっとフリーにできるかも…とは感じた。
それを長々綴ってみました。また書き直すかもしれません。

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。