自分がどうしたいか

気が重かった「集まる」ミッションをひととおり終えました。

その反動なのか今週はいつになく頭がぼーっとして、思考がすぐ止まっちゃう感じ。
もしかしたらこういうのも更年期症状かな。
夜になると目が疲れて、何にも考えたくなくなる。
だからミッションを終えてほっとしつつも、どこか不快さが残る。
集まった日のことを、今でもぽつぽつっと思い返しては疲れて…というのを繰り返してるからかもしれない。

 

だって8時間もしゃべってたんですよ。
しかも久々会ったメンバーで8時間。

でもどうやら私以外のメンバーは定期的に長電話したり会ってたみたいで、それは全然いいんだけど、空気が出来上がってるメンバーは会話のテンポが速く、そのどれもに「なにかな?」と興味を向ける態度をいちいち挟んでしまった疲労はとてつもなかった。
あと複数人内の2人はすごく何かで盛り上がってて、他のメンバーにとっちゃとんとわからない…ってことはよくある話だけど、「どうしましょうね…」って戸惑いをうっすらにじませつつ、それで連帯するのは避けつつ、「そうなんだ〜」という微笑みの傍観者に徹したのもなかなか疲れた。

それ以上に疲れたのは、自分がずっとよそゆきだったこと。
すごく久々の再会だったからか、かつて自分はこのメンバーでどう振舞ってたか忘れちゃって。
振る舞うってのがおかしいんだけど、メンバー内で私は一番年下で、前職で一緒だったときの私は20代前半。
当時は年齢そのままのフレッシュさがあり、プラス末っ子度胸とひたむきさがあのころの自分らしさで、先輩たちを姉のように慕っていた。
「おうち遊びに行きたいです!」と本心から言えたあのころ。
社交辞令じゃないとわかってほしくてすぐに予定調整した。
そのころの自分は、もういないかもしれず。

 

あれから幾日経っても、自分は自分らしさを出してなかったんじゃないかと考える。
どの話にも肯定的にうなずいて、目を丸くして、余計なことは言わないように。
そんなの、ただのうなずきロボットじゃないか。

結果楽しけりゃいいんだけど。
みんな楽しそうだった。私も楽しかったし会えてよかった。
でもなぜか、今も脳内にインサートされるあの日の風景。
そのときの自分を思い返すと、どっかビクビクしてたよなぁと。
私の悪い癖として、人間関係で「相手次第」なとこがあるから。
1対1なら目の前の相手だけに対応すればいいとこを、複数人だとその人ら分の「次第」になるので、それも集まるのが疲れる要因かと。

 

昨日ぺこぱの松陰寺が「過干渉になりやすい親チェック」みたいのをやってて、結果、松陰寺はすべての設問がNOで過干渉度0%だったんだけど、スタジオのみんながYESで1人だけNOだったのが「相手の気持ちをよく考えるか」という設問。
「NO ”自分がどうしたいか”がすべてだから」と言う松陰寺にぐっときた。

そうなんだよ〜
20代前半の私は先輩たちに必死に気を遣いつつ、「私は…」という主張に物怖じしないとこもあった。
先輩んちに行きたいから行く。
それが年を重ねるごとに、「私が行くことで掃除・料理とか産後の先輩にお手間取らせちゃうよね…」と遠慮の嵐。
20代の自分は、まぁ図々しかったですね。
当時も気遣いの疲労があったとはいえ、「先輩と遊びたい」という欲求・主張を堂々繰り広げてた。それは先輩から見てもかわいらしかったと思う。

今、私がどうしたいかって?
ほっといてほしい…

どしたんだshikiちゃん!という騒ぎになるだろうか。
いや、ならないと思うけど、これを表明できるのって相当分かり合えた人か・縁を切る寸前の人だよなと。
そのどちらでもない人間関係は結構あって、だから1対1なら断るのも難しくないものが、複数人の「どした?」は想像するだけでも胃が痛い。
みんなから「ちょっとおかしい?」「ちょっと弱ってる?」とか思われることがなぜこんな嫌なんだろう。

私は弱ってない。
でもある人からしたら弱ってる部類かもしれない。
私の日々はつまらなくないし楽しいけど、ある人から見たら「寂しっ!」って映るかもしれない。
誰かと複数人で会ったとき、「弱ってないし楽しく過ごしてる」という私の日常を、多数決で「いやいやいやいや」と捉えられるのがつらい。
帰り道に「私って結構寂しかったんだな…」と思ってしまうようなこと。
もちろん表面的には「shikiの日常いいね!」と言われても、「元気そうでよかった」とか付け足されたりするので、あ、やっぱ心配されてた?とがっくりくる。
それらも安堵と愛情のミックスと思うようにしてるけど、独身だから?LINEグループの反応薄いから?元気そうでもない顔色だから?

それで好きな人がいるなんて話を投下したら、既婚メンバーはこの上ない安堵の表情を見せるけど、「既読スルーが多い人で」とか、気にしてる事実を話しちゃうと「あー…」とトーンダウンは早い。
挙句「いつもそういう恋だよね!」とかツッコまれたりして。
いつの恋のこと!?いつも?
今回もこりゃダメだな…と思われただろうか。
帰り道に「いい人きっといるから」と慰められたのは、何をどうジャッジされたんだろう。

みんないい人で、かつては大好きだった人たち。
かつてというのは、日々顔を合わせて共に働き、日常を共有してた頃。
今は全員退職して、「あのころ」だけでつながっている。
それでも通じ合うものがあったからあのころ仲良くしてたわけで、人間性の素晴らしさへの安心感は変わらず今もある。
でも正直、定期的に会うほどの求め合いはすっかりなくなってるとは思う。

 

ところで、私以外のメンバーが定期的に会って信頼を深めてるわけもわかる気がした。
「あなたが好き!」「もっと聞かせて!」という愛情表現がダイレクトだからと思う。
私だけがいつまでも胸で本音をこねくり回してた。
愛情を向けられた側も愛情を返す。
本音のわからない私には、愛情を与える側だって慎重にならざるを得ないだろう。
愛情の表現。
これまた私の大きな課題と改めて自覚しました。
「自分がどうしたいか?」を置き去りにして、「相手次第」で自分の方向や態度を決めようとするのもそろそろ変えるか(変えられるのか?)
だって異性だけじゃなく同性で仲良くしたい人にも強い関心をセーブしがちで。
「一緒に帰ろう」って言えない。そういうポーズも取れず、ただエレベーターで一緒になったらひっそり喜ぶだけ。
これも昔そんなんじゃなかったはずだけど、一体いつからこんな臆病になったんだろう。

 

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