記憶のハラ

人の将来について質問するのは「夢ハラ」とか「WILLハラ」とかって言うそうで。

ハラの種類どんだけ?と笑いつつ、確かに職場の人に将来の夢や目標を聞かれると、一瞬ひるむ。
話題がないからってそれ聞く?と。
そう親しくない人に明かしたくないことって結構あります。

先日は職場の人に「自分のお墓のこと考えてる?やっぱご両親のそば?」と聞かれて、さすがにギョッとした。
あまりにびっくりして「は?」と強めに言ってしまったら、相手もハッとした顔してその話は終了。
その不快感の正体はすぐにわからなかったけど、帰宅時にじわじわきた。
「私が生涯独身前提で言ってきたよなぁ」とか、「人の墓の話なんていいだろ…」とか。
これは墓ハラなのかな。

居酒屋で「みんなビールでいいね?」と、勝手にビールを頼まれることを「ビルハラ」と言うらしい。
私が新人時代から「やれやれ」と思ってたことが、長い年月かけてやっと言語化されたんだなぁと感慨深い。
ただ、私が30代になったころには職場でも合コンでも「まずビール」は良くないという意識、わりと浸透してたかなと。
何飲む?好きなものでいいよと、結構聞いてくれた。
アルハラはさすがに少なくなってきたのでは?と思ってたけど、今でもビルハラあるんですね。

さっきまで見てた番組で杉村太蔵が、「GW何してた?もダメ」「髪型のことに触れてもダメ」「とにかく質問がダメ(特に職場)」「今はそういう時代なんだから!」と力説してました。
その番組の空気感としては、「今の若者って真面目なんだね」「Z世代ってそうなんだ〜」って感じだったけど、今の若者に特有の嫌悪感じゃないと思う。
大して親しくない人からの質問って不快でしたよ。
そう感じてしまった自分がめんどくさい人間なんだと思ってここまできたけれど、時代がその不快感をやっと肯定してくれた。

・美容師トーク

今でこそ美容師トークへの苦手感は世間に受け入れられてますが、自分が20代だった頃からなんか嫌なものだった。

「お休み、どこか行かれたんですか〜?」
「自分、こないだ小笠原行ってきて〜」

文字にすると、ただ陽気な人の楽しいトークですが、美容院という空間でよく知らない(チャラい)アシスタントにぐいぐい踏み込まれるというのはなかなか苦痛だった。
「小笠原、めっちゃいいですよ!」と勧められても「船酔いが…」としか言えない自分もまた真面目だったんだな。
でも今なら思う。
親しくない人に休日の過ごし方聞かれるのってなんか不快。
あれなんだろう。なんでだろうね。

・カレンダートーク

「母の日、何かします?」
「クリスマス、どこか行くんですか?」
「年末年始はご実家?」

総じて「どうでもいいだろ!」と今では堂々と言えそうな気がする。
それくらい、質問されると今でもググッと喉が詰まる。
もちろん人によるんですよね。
ペラペラしゃべっちゃう人もいるし、やっぱ親しさの度合いかな。
人は自分のことをそんなに明かしたくないものなんじゃないか。
それは遺伝子に刻まれた適切な警戒心なんじゃないの?


・合コン後日トーク

「この間の合コンどうだったの?」

10年以上も前のこと、ほかの同僚もいる前で聞かれたので、「それは今いいじゃないですか…」と露骨に不快感を示したことがあった。
そしたら、質問者から笑顔が消えて「は?」とキレられた。
あのころはまだ、質問者が圧倒的に強者だった。
質問者だけじゃなく、みんなの前で堂々後日報告できる人も強者だったな。
「でさ〜」
「うんうん」
って、聞く人の目を輝かせる。
あのころの私は時にそんな話題提供者になってみたりもして、「明かしたくない」という繊細さを押し込めたこともしょっちゅうでした。

・投資トーク

「投資、何かやってます?」
「NISAやってます?」

この手の質問が急に増えましたが、どこまで明かしていいものか誰も正解を知らない感がまだ漂ってる気がします。
しかも、投資全然わかんない人に上から目線で語る人も増えましたが、投ハラとかもう言われてたりするのかな。

・新婚ハラ

「お互いをなんて呼び合ってるの?」

これは女子ランチとかでよくある質問でしたね…。
誰かが質問すれば、周りにいる自分は自動的に聴衆となる。
「私は旦那のことをケンケンで、私のことはモモたん」
腹の底からゾワっと羨望みたいのがのぼってきて、「いいね〜」なんて目を細めてうっかり悶えてしまう。
ほとんどの人がちゃんと答えてた記憶だけど、約1名、ついぞ明かさなかった人がいた。

「んー、別に名前で…」

それが真実か適当かはわからなかったけど、女子は新婚者に容赦ない。
「なんてなんて?言ってみて」と、演技まで求める。
「別に普通だよ」
「だから、言ってみて」
これが何度か繰り返されたとき、相手が嫌がってることに気づいた私は「もうやめなよ」と質問者に言った。
そしたらその人もまた「は?」と怒りの形相。
「みんな言ってんじゃん!」「幸せなんだからいいじゃん!」
あのとき何が正しかったのかわからなかった。
10年以上の時を経て、答えなかった彼女、止めた自分は、それでよかったんじゃないかとやっと思える。


・路線ハラ

そんな自分は「何線で通ってるの?」ということをやたら知りたがってました。
単に乗り換え経路や使用路線に興味があったのですが、人によっては踏み込んだ個人情報に当たると思うらしく、「私だったらそんな質問はしません」と後輩に言われた。

ただ、人によっては本当に自分のローカル駅を言いたくない人もいるらしく、「大宮らへんです」と濁す。
埼玉出身の私にとっては「大宮らへん」という答え方はなんとも想像を刺激するもので、それは伊奈なのか土呂なのか指扇なのか、せめて路線だけは教えてほしいと、妙に執着したくなる。
むしろ、そこまで突っ込まれたら嬉しいんじゃないか?埼玉出身ってそうじゃないか?という鈍感の極み根性があるのは確かです。
しかも私は埼玉出身のくせに千葉のことも神奈川のことも関心ありで、「今日の田園都市線、人身事故ありましたね」とか、そう親しくない人に話しかけてギョッとされたのも最近のこと。

・自己開示トーク

ハラスメントは質問だけじゃない。
自分のことをすごく明かしてくる「自己開示トーク」も、苦手と感じることがある。
質問も自己開示も、心地よく感じられるのはごく限られた数人だけ。
そりゃ自己開示から距離が縮まることもあるし、自己開示を目的としたワークなどで癒やされることもあります。
日常の場では、「心を開く」ことについてやっぱりそれなりに警戒してるんでしょうね。

この間、身内との壮絶な不和をいきなり明かしてきた人がいて、ちょっとひるんだ。
「そうなんですね」と聞いてあげるんでよかったのだろう。
ただ最近感じるのは、ほうぼうにかなりプライベートな自己開示をする人には、どうも人を引きつけたい理由があるらしい。
すごく開示する人は、同じくらい質問魔だったり、すごく人の相談に乗ろうとしてきたり。
そんで職場で誰かと勢力争いしてたり嫉妬対象者がいたりして、派閥づくりみたいなことに躍起になってるようにも見えるんですよね。
それなのに自己開示を真剣に受け止めて、相手の気持ちをわかろうとする…みたいなことを繰り返すとすごく消耗する。
わかってても巻き込まれてしまう強力なエネルギーの人、そういう人との距離感が目下の課題。

昨今のハラスメントを思うと、「何にも聞けないじゃん!」「一切質問するなってか!」とキレたくもなるけど、知り合いの平成生まれが言ってたのは、「質問が嫌なわけじゃない」とのこと。
職場みたいなとこで誰かに何か聞かれたとして、のちに自分のいない場で話題にされるのが嫌だという。
そんでその人たちの「普通観」で勝手にジャッジされること。
この「勝手な普通観」「ジャッジメント」が不快感の鍵なのかな。
質問から始まった会話を、この1対1の場で終わりにしてくれればいいのに、「あの子が〇〇なんだって」と拡散されて、あろうことか関係ない人にジャッジまでされてショックを受けたという話も聞いたことがある。

私は、「髪切ったね!」とか髪型について触れられることがわりと苦手。
そのあとに嘘でも「いいね!」ってつくならまだしも、「切ったね!」という事実だけをわざわざ言ってくることのシンプルさを、自分のような猜疑心タイプは「似合ってないのかな…」とジャッジメントされたように受け止めがち。
「気づいてあげる」ことがとにかくエチケットという話もあるけど、人によっては「ふーん」って頭のてっぺんから髪先まで眺めてきたりもして、「なぜそこ、そんな短いのww」と言ってきたりもする。
美容院行った翌日だからだよ!
なぜそんなことを言うんだろう。お前は一体何様だ。
そんなこと言っちゃう鈍感さへの抵抗が今の時代、「〇〇ハラ」を生み出す空気につながってるんじゃないかな。



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