人の覚悟・私の覚悟

「ラストマン」も「育休刑事」も「日曜の夜ぐらいは」も、どれも脱落しそう。
最初はあんなに熱く見てたのに。

どれもいい話なのに、自分の熱量が継続しない。
それでも見終えたら、「見る覚悟を貫けた」ってことになるのかな。
もうすぐ最終回だし貫けそうではあるけど、脱落したいのが本音ではある。
でもたぶん見る。愛とかではない。
意地というか、悪癖?

 

今日(19日)の「らんまん」寿恵ちゃんの覚悟には泣けました。
「あなたと冒険したい!」という覚悟はちょっとやそっとじゃ揺らがないんだろうな。
揺らぐほどのピンチは起きまくるだろうけど、寿恵ちゃんなら愛を投げ出さないはずと感じられる。そう演じてくれた浜辺美波さんがとにかくまぶしかったです。
また浜辺さんって冒険がよく似合う!
あの勇ましさに感動しきりでした。

みんな、こんなふうに覚悟を持って結婚決めるんですかね。

ジュン氏の会見も覚悟のあたりに感動を覚えた。
あんなことがあってもそんなふうに言えるものを築いてきたということか。
覚悟持たないと、なんも貫けないですよね。
自分がこうすると決めたら突き進む。
「その先に何か起こったらどうするの?」
はたから見て不安要素が多いようなことって、必ず忠告入りますね。
「心配だから言ってるんだよ」
あれらの忠告を愛と勘違いしてたけど、覚悟への横槍要素もあると思う。

 

最近、また新しい著者と出会いました。
こだまさん。
夫のちんぽが入らない」作者。

ドラマは見てました。(→ドラマ「夫のちんぽが入らない」
途中まで何もかもがドラマとイメージぴったりで、再現度すごい!と思った。
でもドラマの方が脚色盛りだくさんだったかな?
あの脚色もこだまさんのエピソードに基づいてるのか創作なのかは謎だけど、どっちも好きな作品と思えた。
ってかこれが実話というのがすごい。
むしろドラマ的と思った部分が本に忠実だった。

こだまさんの文章がすごいです。
むちゃくちゃうまい!…とどの目線で言ってんだという話ですが、同人誌用に書いたというこの作品が、誰かの目に留まって出版まで行ったというその流れは「どの街歩いてもこの子はスカウトされてスターになるんだろう」という必然性とほぼ同じじゃないかと思うほど。
最初から最後までむちゃくちゃドラマチックで。

いや、出来事の始まりは地味の最底辺から始まるような埃っぽさすらあるし、何しろ主人公の「私」はいつもひっそりとしている。
ひっそりさとドラマチックさが常に並走するようなこだまさんの文章に惹かれっぱなしでした。

 

だけど、ひっそりしている「私」は静かに熱く訴える。
おそらくは、大勢の中にいたら埋もれてしまうほど普通さをまとっているであろう「私」=こだまさんは、その実まったく普通じゃない。その苦しみ。
「入らない」という事実など誰にも話してないにもかかわらず、人の目につく「普通じゃなさ」はひっそりと放っておかれやしない。
一番わかりやすいのは子どもですね。

入らなくても妊娠できる手段はあるだろうけど、「私」はいろんな事情でその道を行かなかった。
でも「いない」ということの謎や期待を周りは寄せてくる。
「なぜなんだ」ということを言語化しなきゃいけない。
「覚悟」が迫られることが次から次へと起きて、一見とても脆く見える「私」は揺れながら覚悟を固めていく。
夫の覚悟の強さもところどころで感じられて、決断と覚悟、人はこれさえあればもういいんじゃないかと思った。

決断と覚悟。
自分のそれはなんとも微弱だなぁ…
あらゆる覚悟のこと。
でも職業選択の決断と覚悟だけは結構潔かったかも。
変わった資格取得に邁進してたときも、さんざん周りに心配されたけど覚悟は揺らがなかった。
夜勤を始めたときも「倒れないでね」と心配されたけど、一見優しそうなこの声かけへのもやもやを自分に許そうと今思った。
ありがとうとそのとき心から思ったけど、倒れねーよ!とも思うし、倒れたところで…

倒れたところであなたに連絡してもしょうがないし、「ほらぁ」とか言われたくないから絶対連絡しないし。
意地に意地が重なった結果、倒れないように細心の注意払う。
・・効いてんだけどさ、心配。

って、いちいち言葉尻をとらえたくなるのは、覚悟にそんな自信がないから。
いつだってバクバクしてんだ。
ドラマみたいに目を輝かせるような一生覚悟はそうそう持てるもんじゃない。
みんなそうでしょ?
そうやってぐらつくから人の覚悟も揺さぶってやりたいんじゃなくて?
それもう離婚っしょ、とか。
あなたに合わないよ、とか。
一生後悔するよ、とかとか。

寿恵子とて、こんな嘆息をこれからたくさん浴びてグラつくんだと思う。

自分はこの先2、3の新しい決断と覚悟をしていく予定。
だから人と集まりたくないのかもしれない。
一度に複数人の意見を受け止める覚悟がまだ全然ないから。
少しでもネガティブな兆候を拾うのが怖い。
私のポジティブより、誰かのネガティブの方が正しそうと思っちゃうのも怖い。
集まっても言わないと思うけど、その話題にならなくてもなぜかいろんなサイン拾いまくって、自分の判断ってやっぱ危ういとか思う微弱さが常にあるんですよね。
だから、せめて芽が出るまではひっそりしていたい。

大事な部分に丁寧に水やりして、育てようとしている誰かの過程を土足で踏み荒らす、みたいなことばっかやってるワイドショー・週刊誌だなとつくづく思ったりもした。
芸能界の労働環境とか人権問題もどうにかなんないですかね。
「見たい!」とかいう視聴者の願望より、とにかく自分と労働者をとことん大切にしてほしい。

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です