同調の波

ジャニーズの会見を職場で見ていたあの日。

同僚の1人が会見の率直な感想を口にして、もう1人が同意する。
誰かが「うんうん」とうなずいて、そこにいた8人ほどがひとつのかたまりになりかけたとき。
私はちょっと違う感慨で、それを少し表してみたんだけど、「ない」感じになった。

正確に言えば、ひとつのかたまりとしての声がすでに大きくなっていて、ある方向に流れている。
その流れを堰き止めるべくさらに大声で割って入るにはエネルギーを要したので、何も言ってないに等しいふりをした。
そしてうっすらかたまりに擬態した。「うんうん」と私もうなずいて。
自分をすごく偽ったつもりもなかったけど、このとき感じた疲れが不快なものとして今も残る。

こういうのは初めてじゃなく、時々あること。
輪の中にいると、すごく飲み込まれる感じがする。
誰が悪いとかでもない同調の波。
そのかたまりの目的は共感、それに尽きるというような。
それが心地よいときもあるけど、自分をそこにまとめないでほしいと思うことも多い。
その抵抗の表明は割と難しい。

過去、似たような状況。
勇気を持って自分の思いを主張してみたこともあった。
同意者なし。怖いくらいの無風。
やっぱ自分の考えっておかしいのか。
素直じゃないのかな。
そうやって自分を変と思うことがつらい。

ひとつのかたまりが一度形成されると、また何度も同じパターンのかたまりができる。
異質な意見を排除する成功パターンも出来上がる。
それを目にした人は「同調した方が安心だし楽」と感じる。
「みんなと違う意見を表明しても受け入れられないんだ」と学ぶ。

それでも時々「自分の意見」を強く持ち続ける人もいる。
明らかに孤立する。
「あの人は頑固なんですよ」と陰で言われる。
「間違ってる人」と多数に思われたりとかして。
それでも堂々としていたあの人はすごいと思う。
私はその勇気もなく脱した。
「自分が間違ってるんだ」と何度も反省したり、「でも…!」とあがいて誰かを味方につける行動が徒労に終わるなんてことはもうやめたかった。
あの独特の同調圧力。
なんとも不思議な空気感と思う。


メディアがこんなにも横並びなら、それを目にする自分達だって横並び主義になるのも自然でしょうね。
「反省します」というタイミングもコメントもさしてオリジナリティーがない。
「まただ」とここでも思う。
それでも最近おもしろいと思うのは、「そうじゃないだろう!」と明確に意見を表明できる人がSNSとかにコメントして、最初は一人一人のマイナーな意見だったのがどんどん説得力を増してメインの流れを作る。
その流れに応じて、これまで圧倒的マジョリティだった企業やメディアの態度に柔軟性が出てくるようなこと。
これはちょっと希望と思った。

だってあのジャニーズ事務所が世間・企業の声を受ける形で2度も会見開いたと。
しかもテレビ局も、さっき日テレは社内検証報告みたいのを時間かけて放送してたりとか。
今まで、当たり前に変容が無理と思われてた大きなかたまりの変化を目にし続けている事態。
これまで「意見」は、とかく「クレーム」とかって忌み嫌われてきたけど、「意見は意見」として、それを寄せられた人が耳を傾けるかどうかの問題っていう流れがどんどん進むといいなと思う。
なぜかずっと「かたまり」の中に安住した人が「受け付けませんよ」とはっきり言う権利みたいのが、すごく守られすぎてきた気がするから。
そんなネガティブなこと言うのやめましょうよとかって、意見を持つこと自体に罪悪感を抱かせるようなムードなど軽々打ち破っていけたらいいけども。


私はもうあまり複数人数でいたくない。
1対1とかせいぜい3人でいい。
組織でまとまるのが居心地良くなっちゃうと、ある部分が麻痺してしまう。
誰かの痛みに鈍感になって、からかってみんなで笑うとか罪悪感の過去。
私はお調子者なので、そういう失敗も結構ある。
思考停止の安楽の上にさらに鈍感を重ねるようなことはもうしたくない。




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