正しさ渇望期

女には、「正しさ」を男以上に渇望する時期ってあると思うんですよね。
例えば、正しくあるために結婚や出産を望む。
母親が自分にとっての正しさの象徴であるなら特に「母親のようになりたい」と。
そういう人は概して真面目だしすごく頑張る。
自分ばかり頑張ってるように思えてくる。

仕事において「正しさ」を獲得しようともがく時期もある。
私の30代はそんな時期だったかも。
周りが頑張ってないように見えてイライラする。
自分は正しい。
その正しさを誰かにわかってほしい。
親しい友達に受け止めてもらおうとするけど、共感や同意だけじゃ心が収まらなかったあの頃。
上司に改善策を提案するという行動に出たりして、正しさを直線的に訴えてへし折られる、なんてこともよくありました。
「根回し」も正しくなく思えて、自分のこの純粋さをなぜわかってもらえないのか、なぜ自分の正しさは実を結ばないのか。もがいてましたね。
社会的に正しくあるための自己実現。その道のりが挫折の連続で。

大学生のとき第1次肯定ブームが訪れて、周りが「いいね〜」「いいよ〜」とか言い合ってる時期が耐えられないってことありました。
あのころ民生とか真心ブラザーズとかスチャダラに代表されるような、「ゆるさがかっこいい」時代。
私もみんなから遅れつつなんだかんだゆるさを受け入れていくものの、そのころには周りは就活。
急に真面目頑張りキャラに豹変。
私はゆるさからの抜け出し方がわからないまま、ろくに就活もせず「一般職でいいや」とコネ入社。
ついぞ周りと歩調の合わせられなかった大学時代でした。

その歩調のギャップはいつになっても埋まらず、大学の友人はそろえたように同じタイミングで結婚を決めていく。
友人たちはいつだって「正しさ」のルートに敏感だったんだ。
結婚いいよ〜
一度はしといたほうがいいよ〜
出産も早い方がいい
年取ると大変だから…
友人は、よかれと思って「正しさ」へ勧誘してくれてたんだと思う。
自分の声かけで、私が結婚・出産に早く到達するならと、そんな願いが込められてたんじゃないか。
「正しさに未到達の人」が近くにいるのは、さぞ落ち着かなかっただろう。
親しい友ならなおのこと。

女性はライフステージが友人同士でも大きく違ってしまうことがあるから、話が合わなくなるのも自然なこと。
そんな悩みへのアドバイスはよく目にしますね。
「話が合わなくなる」の大もとは、「正しさのギャップ」にあるとも思う。
「自分は正しくないんだ」と思いたくない。
かろうじて未到達感を受け入れてみても、「ずっと未」状態は心地悪い。
「いつか私が到達したら…ね」
精一杯の束の間感を前面に出して軽くサヨナラをする。

誰も私を正しくないとは思ってないだろうけど。
もし私が既婚者を好きな身だったら。
結婚を決めてくれない人とずっと付き合っていたら。
もし誰かが〇〇だったら。
みんなの正しさジャッジを取り付けられそうにない…と感じるような場にはいられないと思う。
なぜか独身者は「習い事何かやってるの?」と聞かれることが多いけど、「正しさに向かって頑張ってること」を期待されてるのかもしれない。
英語・調理師資格・宅建、そんなことを言ってみたかった。
だって「占い」と言ったときの空気が冷える感じ。
人を「正しい・正しくない」で見てないよ、というのは本音としても、「自分は正しくありたい」と強く思う気持ちの人は多いと思う。
その強さが外側にコントラストを生み出す。

その逆も然りで、「自分は正しくない」と思うほどに周りが輝いて見えてしまう。
私はまたこの時期も長かった。
仕事を頑張って、それで時間がないと言って強がるのが精一杯でした。
「じゅうぶん頑張ってるよ」って友人に思ってほしかった。
でもどんなに頑張っても、赤ちゃんのそばに夜中じゅういる人より頑張ってることにはならないんですよね。
そう思っちゃうから頑張ってるアピールなんてできない。

やけに被害者意識が募っているのは、とある女性と会う予定をしているからかもしれない。
「誰かいい人いないの?」「結婚いいよ〜」
何度となく言われてきたので、会うことに神経質になっている。
「聞いてあげることは良きこと」と思ってるかもしれない。
そういう時代に仲良くなった人だったから、悪気がないのはよくわかる。
また自分の現状がなんとも曖昧な感じで、その曖昧さを楽しみつつそれなりのネガティブさを抱えつつで、どういうトーンで話したらいいだろうかと迷う。
ネガティブな感じで話せば「もっと他にいい人いるよ」と言われるかもしれない(それは嫌だ)
良いとこばかり話せば、話した自分の心が自信過剰方面に加速してしまいそう(それも嫌だ)
少し前にも別の既婚女性に「いい人いないの?」と聞かれた。
特段親しくない人だったので「ないですね」と言っといたけど、その女性は「結婚は地獄だからね」と言った。
「だから結婚しなくても、全然いいと思う」
思いがけないエールをもらった。
ただ、わざわざこう言うということは、結婚=良きことという前提があるからと思う。
あなたがもし「良きこと」と思ってるんだとしても、現実は違うものよ…(だから独身全然OKじゃん!)と。

いいんだけどさ。
深い話、本当は好きなんだけど。
人に話すことで自分の心が思いがけず暴れるというか、揺らぐことを本当は一番恐れてるんだと思う。
好きな人がまったくいない時期だって、「なんもないっすねー」と言えばそれなりに心が揺らぐ。
「ないです」「なんもないです」自分の現状に否定語なんて使いたくないんだ。
「ない」とも感じず平和に正しく生きていた。
聞かれなければ凪いでいたのに、と恨めしく思う。

「結婚は地獄」と言った女性の話をもっと聞きたい気持ちはあったけど、何を聞いていいかわからなかったです。
掘り下げたらよかったのか、「そうなんですね…」以降絶句状態で結果オーライだったのか。
でも、聞いちゃったら無理くりポジティブな肯定ワードを私はつなげまくるだろう。
それも正しかったかわからずあとで頭を抱えるパターン。
すごく親しい人の話だけを親身に聞く・聞いてもらう。
今の自分はそれがやっとです。

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